通訳部分、要旨は山田勝美『全釈論語』に準拠。感想は私的解釈。

學而篇12

〈通訳〉

有先生のお言葉、「礼を運用するに当たっては、和ということが肝心である。先王の政治も、人の和が保たれたからこそ理想とされるのである。小事でも大事でも全て礼に従って行おうとすると(厳しすぎて)上手くいかない事が起こってくる。また、和の大切なことを知って、いくら相和していこうとしても、礼で折り目をつかなければ、これまた(だらしなくなって)上手くいかないものである。」

〈要旨〉

伝統的な制度や習慣をいかに運用すべきかについての論。

〈参考〉

聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」は、ここから出たもの。

〈感想〉

人間関係にしても制度の運用にしても全ての物事は調和とバランスが保たれることが大切です。あるルールや基準を設け、その枠内で物事を進めようとすることは重要ですが、その基準が余りにも絶対的なものとして固定化されるならば、柔軟さやダイナミズムが失われてしまうという弊害が生まれます。

絶対的な基準は、物事を多面的に捉える思考、柔軟な発想、活発さ、躍動感を閉じ込め、硬直化、一面的な解釈、停滞をもたらします。いわゆる官僚制の逆機能が働いてしまいます。官僚制の逆機能には規則万能、秘密主義、画一的傾向、権威主義、繁文縟礼、セクショナリズムなどが挙げられます。この様な状況に陥ると、ルールや基準を定めた当初の目的を阻害する要因になってしまいます。

大切なのは和の精神です。和とは一言では言い表せませんが、調和を保ち、バランスや釣り合いをとること、また対立や疎外をなくし、融和・協調することと言えるでしょう。基準についてならば、ある種の柔軟さ、緩やかさ、解釈の幅を持たせるということでしょう。和の精神を持つことによって、物事を多角的に見ることができ、柔軟さや躍動を維持することが出来ます。

しかし、逆に物事の全てが和の精神によってのみなされるならば、そこには秩序が失われてしまいます。全てのことについて和の精神を適用するならば、あらゆることを融和し、何もかもを柔軟に捉えるということになります。それはいわば無秩序状態であり、何でもありになってしまいます。無秩序には本当の自由はありません。それを回避するには一定の基準、即ち「礼」が必要です。

「礼」は伝統的な制度・風俗・習慣の総称であり、また「仁」の心の具体的表れでもあります。「仁」の具体化である「礼」を基準とし、「礼」に則ることで秩序が生まれるということです。「礼」と「和」、秩序を維持しながら、柔軟さを保つという二つの在り方が重要ということでしょうか。