人生において大切なものとは何なのか。
どれだけ多くのものを手に入れたか、どれだけ登り詰めたか、どれだけ勝ってきたか。それも大切であるが、単に多くの名声を手に入れ、高い地位を手に入れただけならば無意味である。
人生において大切なのは得たものに対して、そして自分自身に対して正しさがあったか、徳があったか、愛があったか、仁があったかである。表面的な功績が重要なのではなく、その中身が最も大切なものである。
外的な功績はいくらでも取り繕えるが、正しさ、徳、愛、仁などの内面的な要素は決して誤魔化すことはできない。何故なら、それは自分自身への誤魔化しになるからである。外面的なものがいくら偉大で美しくとも、それに中身が伴っていなければ空虚である。
その空虚さを最も痛感するのは自分である。他の誰もが分からず、知らなくても、中身が空虚であることを自分だけは知っている。自分だけは決して誤魔化すことはできない。
自分の成したことや自分自身に正しさ・徳・愛・仁がないことに罪悪感を抱かないほど歪んだ心の持ち主であっても、自分に徳などの内面的要素が欠けているという事実から逃れることは決してできない。その空虚さは鏡のようなものである。何とも思っていなくとも、空虚という鏡は中身のない自分を常に映し出す。
その空虚さは決して埋められず、自分の人生に絶えず付きまとってくる。それから逃れる術はなく、人生に対する呪いとも言えるだろう。多くのものを手に入れたが、空虚さという呪いに苛まれる人生は果たして幸せといえるだろうか。
自分の行動や自分自身に対して正しさ・徳・愛・仁などの内面的要素が伴っている人生は、外面的な功績以上に豊かで充実した幸せな人生といえるだろう。その充実は他人には知られなくとも、自分自身に対する最大の栄誉となるからである。自分の人生の中に正しさ・徳・愛・仁があるということはどんな外的功績にも勝る自分への栄誉と喜びである。その栄誉の中に生きているということは人生最大の充実である。人生最大の幸福とは他者にどれだけのものを示せたかではなく、自分自身に対してどれだけ正しく生きれたかということである。自分自身に対して充実している人生こそ、最大の幸福である。