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たまにの暮らし‐tamany‐

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何のために祈る

祈りとは、自分を超えた超自然的存在に向かって、語り掛け、願うことである。

人間が祈るのは、独力ではどうしようもない状況、手が届かない事柄に対して、超自然的存在の力を借りて事態を良い方向にもっていきたいという願いがあるからである。

例えば、宝くじで一等が当たるように祈る。宝くじが当たるか当たらないかは完全に確率の問題である。我々が何かを働きかけて変化することは無い。つまり、私たちの手の届かない事柄である。しかし、是非とも一等が当たってほしい。自分ではどうにもできないことに属しているが、自分に有利に事柄が傾いてほしい。ならば、自分の力を超えている超自然的存在や超自然的力を頼ることで、何か特別な力がかかり、特別な変化がもたらされるかもしれない。その様な願望が超自然的存在に対する祈りとなるのである。 “何のために祈る”続きを読む

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次の世界の姿

今、アメリカ大統領候補としてトランプ氏の話題が頻繁に取り上げられています。

最初は、候補の中の冷やかし的な存在、変わったオジサン的な存在でした。

しかし、今や彼が大統領になる可能性が現実的なものになりつつあります。

トランプ氏が合衆国大統領となると世界はどうなるのか?

彼は明確の政治のヴィジョン、政策、公約を述べてはいません。これは意図的にそうしているのかもしれませんが・・・。彼の主張を大枠で総合すると、「俺は今までの政治家ができなかったようなことを成し遂げるぞ!とにかくアメリカを変える!」と意気込んでいると言えるでしょう。

トランプ氏は過激な発言を連発していますが、非常にしたたかな男です。 “次の世界の姿”続きを読む

論語7

山田勝美『全釈論語』、貝塚茂樹『論語』、加地伸行『論語増補版』に準拠。感想は私的解釈。

為政篇3

〈通釈〉

先生が言われた。行政を法制のみに依ったり、治安に刑罰のみを用いたりするようでは、民はその法制や刑罰に引っかかりさえしなければ何をしても大丈夫だとして、そのように振舞ってなんの恥ずるところもない。しかし、その逆に行政を道徳に基づき、治安に世の規範を第一とすれば、心から不善を恥じて正しくなる。

〈感想〉

人間というものは、自然的態度では絶えず自己や自分の集団の利益を追求する生物である。何のルールもなしで野放しにしておくならば、ホッブズが提議したように万人の万人に対する闘争になってしまうだろう。つまり、各々が己の利益を求めようとして行動する。その結果、他者の利益を侵害することも厭わないだろう。しかし、この状態が恒常的に続いたならば、人間という種自体が自滅するという不利益を被ることになってしまう。これは避けなればならない。 “論語7”続きを読む

平和

平和とは『スーパー大辞林3.0』によると「戦争もなく世の中が穏やかであること」と書いてある。その様な説明を受けると、平和とは状態を表す概念だと思ってしまう。つまり、平和とは静的なものであるという認識である。しかし、私はそうは思わない。

現在、何を勘違いしてか、安全保障法と戦争法と決めつけ、やたら戦争反対と騒いでいる。私にはそれらの運動には黒い思惑が隠れているようにしか思えない。安全保障を充実させることが何故戦争に結びつくのか。

それは、彼らが平和という概念を勘違いして理解しているからではないか。

平和とは獲得概念である。平和とは自分たちで作り出し、手に入れていくものである。現在、世界的なリスクが高まり、国際的な緊張が高まる中にあって、その荒波から生き抜くためには自ら平和を獲得していくしかない。 “平和”続きを読む

日本人であるということ

戦後70年以上が経ち、世の中は社会構造、思想、教育が戦前・戦中と大きく変わった。時代が変わるのだから、社会やそこで生きる人々が変化していくのは当然である。しかし、私たちが日本人であるという根本的なところは変わらない。

私は、戦後直後から現在に至るまでの社会の変化に疑問を感じる。端的に言えば「嫌なもの」を感じる。戦後直後から始まった、日本に対する明らかな社会構造や思想・教育への意図的な変更、歴史認識の改竄が行われたことに強い不満を感じる。

今の世の中は明らかに左翼的思想に偏っている。そのことにどれほどの人が気付いているだろうか。殆どの人たちは自分たちが学校教育で学び、育てられていったことが中立的な立場からのもので、それが真実だと思っているだろう。しかし、それらの教育は左翼的からの立場の教育であり、左翼的思想によって歪められたものである。だから、世の中に出回っており、広く信じられている事柄が中立的・中庸なものだとは限らない。

この様な発言をすると、直ぐに右翼的・極右的だと断じられる。しかし、その様な発想に至ってしまう思考が既に左翼的歪められたものであると気付かなければならない。私の発言は右翼的なものではない。中立的な立場からのものである。中立的な立場が右に寄っていると思えてしまうのは、あなたの立場が既に左に寄っているという証拠である。

“日本人であるということ”続きを読む

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