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たまにの暮らし‐tamany‐

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超越論的キリスト教論

新約聖書正典化の歴史4

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

前回の「異端」であるマルキオンがキリスト教史上初めて新約正典を成立させてしまったという話しからの続きです。

マルキオン

キリスト教正統派から「異端」として排除された者の常として、本人やその信奉者たちの著作は今日残っていません。従って、正統派側が彼を批判した文書からうかがい知る以外に方法がありません。それだけに、かなり気を付けないと正統派の撒き散らした根も葉もない悪口をそのまま事実と誤認することになります。

マルキオンが生まれたのは、彼が活躍した年代から逆算すれば、85年ないしそれ以後でしょう。ポントス地方の出身。ヒュッポリトスはポントス地方のシノペの町の出身としています。今日のトルコ北部、黒海岸の港町です。その教養からして、彼自身ないし少なくとも彼の育った家庭はユダヤ教徒でした。マルキオンの父はシノペの司教でした。つまり、彼は父親と共にキリスト教に改宗したか、あるいは生まれながらにしてキリスト教徒だったと考えられます。しかも彼はその父親から異端として破門されています。

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Tama×まーやー キリスト教質問4

質問4つ目

まーやー8:初めて聖書を手にすると、聖書は分厚いものですから、どこから読んだらよいのか分からないと思います。1ページ目から読もうとすると創世記ということになりますが、それはそれで難しいと思うんですね。初めて聖書を読む場合、お奨めの箇所がありましたら、教えて頂けないでしょうか。

Tama8:そうですね。聖書は全部で66巻で、旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻で構成されています。旧約聖書だと創世記が一番最初の巻で、そこで最初に出てくるのは神が天地を創ったということで、初めてだと中々受け入れ難いことも書いてあります。取っ付きやすい巻だとは言えないですね。

新約聖書ではマタイによる福音書が一番最初にありますけれども、これも一番最初はイエス・キリストの家系図から始まります。そこを我慢して読んでいくと、イエスの誕生、いわゆるクリスマスの出来事も出てくるので面白くなってきますが、中々そこに至るまでに挫折してしまう方も多いと思います。 “Tama×まーやー キリスト教質問4”続きを読む

Tama×まーやー キリスト教質問3

質問3つ目

まーやー:教会というのは町に行けばあちこちにあります。キリスト教じゃなきゃだめと思った人たちが、どういう教会なら安心して行けるでしょうか。全く分からないと全部がカルトのようにも思えるかもしれません。その辺りの区別の仕方を教えて頂きたいと思います。教会に行きたいと思った方への心構えというか、アドバイスはあるでしょうか。

Tama:そうですね。もしキリスト教を選ぶならですと、まずカルトかどうか、ということから話す必要がありますね。キリスト教をかたったカルトというものは多くあります。特に、韓国系・韓国発祥の団体にはキリスト教をかたっている、キリスト教らしきものが多いです。

まーやー5:先生、話を折るようですけれども、韓国系の教会と日本の教会との区別も初めての人には分からないと思いますその辺りが本当に難しいと思うんですけれども、何かその中でヒントになるようなアドバイスはありますか。

Tama:そうですね。見分け方ということですね。一番簡単なのは、カリスマ的な指導者がいるか、いないかということですね。いわば教祖なるものがいるとそれはカルトですね。
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Tama×まーやー キリスト教質問2

質問2つ目

まーやー:こういう生き辛い時代の中で教会に行ってみたい、教会には安らぎとか癒しとかあるんじゃないかと思って教会に足を運ぼうとしている若い人たちがいるのは確かだと思うんですが、もしそういうことを考えている人たちに何かアドバイスがあったらお願いいたします。

Tama:そうですね。おっしゃったように、今の時代は凄く生き辛い世の中だと思います。人間関係的な辛さがあるとか、ストレス社会になってきたというのが大きいですね。ただですね、私は若い人たちが何故宗教的なものに救いを求めたいのかということに注目したいと思います。一つは、今の世の中、テレビとか雑誌とかインターネットとか見ていると、癒しをもたらしてくれるグッズだとか場所とかサービスとかが紹介されてたりしますね。
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Tama×まーやー キリスト教質問1

ブロガーのまーやーさんからキリスト教について色々な質問を頂き、それに答える機会を頂きました。これから何回かに渡ってインタビューを受けた内容についてを投稿していきたいと思います。

初の試みです。

まず、まーやーさんのご紹介をいたします。

まーやーさんは、教会生活を誠実に守ってこられたクリスチャンです。
神を疑うことなく、信仰に生きてこられましたが、昨今の歪んだ教会制度に疑問を感じ、信仰生活に終止符をうつ決心をされました。
今後はキリスト教会の問題点について提議していきたいとのことです。

まーやーさんのブログはこちらとなっていますので、是非ご覧下さい。

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新約聖書正典化の歴史3

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

「異端」から正典が始まった

キリスト教の歴史の中で初めてキリスト教独自の正典を持とうという試みを成したのは、正統派のキリスト教ではなく、むしろ彼らによって「異端」として排除されたマルキオンなる人物でした。正統派のキリスト教よりもマルキオンの方が実は一歩先んじて「純粋」なキリスト教を実現してしまっていたのです。

マルキオンによれば、「キリスト教徒が旧約聖書を権威として担ぐのは間違っている。旧約聖書というものはもう克服されたものではないか。既に自分たちが克服したはずのものを自分たちの絶対的権威にする訳にはいかないだろう」ということです。その意味でマルキオン及びその信奉者たち(マルキオン派)は、キリスト教の出発点の思想を真に素朴且つ忠実に信奉しようとしたと言えます。そこでマルキオンは、旧約聖書的な要素を一切排除する代わりとして、キリスト教独自の文書を正典として確立しようとしました。キリスト教史上初めて新約正典を持とうという発想を持ったのも、それを実行に移したのも、マルキオンだったのです。

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新約聖書正典化の歴史2

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

旧約聖書という矛盾

キリスト教の新約聖書の正典化の歴史における「旧約聖書という矛盾」はパウロに最も顕著に表れています。

パウロにとってキリスト教の福音は明瞭にユダヤ教の否定的克服でした。しかし、矛盾することに、彼にとって旧約聖書はおそらく他のどのキリスト教徒にとってよりも絶対的な正典的な権威でした。このパウロの在り方が、これから形成されていくキリスト教の抱え込まざるを得なかった最大の矛盾として残るものです。

新約聖書の正典化の歴史とは、この矛盾をどう解消するかという、数百年に渡るキリスト教会の苦闘の結果だったと言えます。もっとも、結局その矛盾は解消しきれずに今日に至っています。 “新約聖書正典化の歴史2”続きを読む

新約聖書の正典化の歴史1

新約聖書の正典化の歴史を田川健三『書物としての新約聖書』を基本にして紹介したいと思います。

特別な断りがない限り内容は『書物としての新約聖書』に準拠したものとなっています。

まず、『書物としての新約聖書』というタイトルがとても面白いです。

何故なら、聖書というものを神が書いた絶対不可侵なものとして捉えるのではなく、歴史の中で人間が書き、編纂した一つの書物として位置付けているからです。

新約聖書とは、後に新約聖書として組み込まれる個々の書物が書かれてから300年以上かかって、西暦2世紀後半から5世紀までの間に一つに纏められ、正統派のキリスト教会の正典とされたものです。
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超越論的キリスト教批判7「机上の空論」

私が日本のキリスト教について最も批判的なのは、教会が教えることと、教会が行っていることの著しい乖離についてです。

教会は「イエス・キリストは救い主であり、主を愛し、主に従って生きる」ことを教えています。主に従って生きるとは、主イエスが我々を愛したように、我々も互いに愛し合って生きるということです。つまり、神を愛し、隣人も愛する。それがキリストに従って生きる者の在り方であり、教会の教えるところです。上記が「一般化・理念化されたもの」であるキリスト教の教えでしょう。

しかし、教会の「現実」は全く異なります。むしろ、教会は私たちが生きる「現実」を無視しています。牧師や神学校のお偉い先生方は礼拝の説教や教会の聖書研究会、あらゆる場面でことあるごとに「隣人愛」の大切さを語ってきます。彼らのご高説自体は正しいものです。

しかし、問題なのは、それが口だけという点です。牧師や神学者たちは口先だけは麗しく、自分たちの生活や実践には全く結びついていないのです。自分たちの教えていることと、自分たちがやっていることが全く乖離している。いや、むしろ真逆の行いをしているのです。

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