以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。
前回の「異端」であるマルキオンがキリスト教史上初めて新約正典を成立させてしまったという話しからの続きです。
マルキオン
キリスト教正統派から「異端」として排除された者の常として、本人やその信奉者たちの著作は今日残っていません。従って、正統派側が彼を批判した文書からうかがい知る以外に方法がありません。それだけに、かなり気を付けないと正統派の撒き散らした根も葉もない悪口をそのまま事実と誤認することになります。
マルキオンが生まれたのは、彼が活躍した年代から逆算すれば、85年ないしそれ以後でしょう。ポントス地方の出身。ヒュッポリトスはポントス地方のシノペの町の出身としています。今日のトルコ北部、黒海岸の港町です。その教養からして、彼自身ないし少なくとも彼の育った家庭はユダヤ教徒でした。マルキオンの父はシノペの司教でした。つまり、彼は父親と共にキリスト教に改宗したか、あるいは生まれながらにしてキリスト教徒だったと考えられます。しかも彼はその父親から異端として破門されています。