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たまにの暮らし‐tamany‐

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キリスト教批判

Tama×まーやー キリスト教質問6-3

前回の質問6つ目の続きの続きです。今回が、この質問の結論です。

まーやー:そうしますと、キリスト教に限っての話ですけれども、神は虚像である、人間が作り上げたものであるという認識に至ると私は思いました。

Tama:そういう認識でいいと思います。ただもう少し詳細に見ることもできます。私は「認識論」というものを唱えています。「認識論」について、ごく簡単に説明します。私たちが今生きていると感じているこの世界、もしくは目の前にあるボイスレコーダーとか机とかは、私という存在の外に、客観的に存在しているものだと思っているかもしれません。しかし、その見え方、私たちが今認識しているものは全て私自身の「認識」が「構成」し、作り出したものなんですね。私が見たり、聞いたり、触れたり、感じたりしている世界と、他の誰かが見たり、聞いたり、触れたり、感じたりしている世界は同じように思うかもしれませんが、実はそれぞれ違うということですね。

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Tama×まーやー キリスト教質問6-2

前回の質問6つ目の続きです。

まーやー:今、お話を伺ったんですけれども、クシュナーの本を私も読みました。牧師なり神父様なりが試練とか苦難を受け入れよ、というのは日常的に教会では言われている言葉です。でも何も助けにはならないんですね。ひたすら祈ってみたり、考えてみたり、聖書を読んでみたりしながら、その苦難を乗り越える、忘れるというようなクリスチャン生活を求められるわけです。

また牧師に相談すると、「あなたが悪いのではないか、あなたに原因があるのではないか」と言われ、はぐらかされているように感じます。それですと、実は神はいないんじゃないかと考えてしまいます。東日本大震災についてどういう意味があったかという声明の決議を教会はしました。誰も助けられないし、あなた自身が試練として耐えていきなさい、謙虚になりなさいということでは、何の救いにもなりません。

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Tama×まーやー キリスト教質問6-1

質問6つ目

まーやー:率直に言って神様というのはいるのでしょうか。

Tama:なるほど、なかなか難しい質問ですね。大災害が起きたり、悲惨な事件・事故が起こると、日本では余りそういったことは言われませんが、アメリカとかですと「神は何故沈黙されているのか、神は我々をお見捨てになったのか」とか言ったこと報道とかでよく耳にします。こういう言い方をすること自体が、まず神がいるということを前提としている考え方です。だから「何故神は行動を起こさないのか」という思いが出てくるのです。彼らにとっては神というのは普段は恵みや救いを与えてくれる存在だと考えられているんですね。だからこそ、こういう大災害の時に神は何をしているんだという思いを怒りや悲しみとしてぶつけているのだと思います。この様な問題を神学で言いますと、神義論と言います。神義論とは神は正しいのか、神は正しいならば何故我々人類を脅かす災害の時に立ち上がらないのかを考えていく学問です。

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Tama×まーやー キリスト教質問5

質問5つ目

まーやー:教会に行くと献金をするという話しがネットでも話題になっているのですけれども、そこに若い人は不安を覚えると思うんですね。いくらすればいいのだろう、とかですね。その辺り、献金についてアドバイスやお考えを教えて頂きたいと思います。

Tama:聖書では、献金についてどう書かれているかと言いますと、旧約聖書の律法に十分の一献金の根拠があります。この十分の一献金というのは、真に強烈なものです。自分の全財産や収入の十分の一を献金しなさいという教えです。つまり、教会に献金するお金というのは自分の余剰財産の中から幾らか出すというものではありません。この考え方はユダヤ教からきたものです。持っているもの、働いて得たお金のまず十分の一を先に神にお捧げするというものですので、生活に非常に関わってくる、厳しい教えですね。昔から、この献金について色々な議論がされてきました。

しかし、この十分の一献金のルーツを探ってみると、レビ記27:30(原文校訂による口語訳)「土地の実りであれ、木の実りであれ、土地が育むものの十分の一は主のものである。それは主の聖なるものである」と書いてあります。つまり、十分の一献金と言われているものは、元来収穫物の十分の一を神に捧げることであって、金銭を要求はしていないんですね。土地が主のものであるから、土地が育んだものも主のものであると言う理屈です。

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新約聖書正典化の歴史4

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

前回の「異端」であるマルキオンがキリスト教史上初めて新約正典を成立させてしまったという話しからの続きです。

マルキオン

キリスト教正統派から「異端」として排除された者の常として、本人やその信奉者たちの著作は今日残っていません。従って、正統派側が彼を批判した文書からうかがい知る以外に方法がありません。それだけに、かなり気を付けないと正統派の撒き散らした根も葉もない悪口をそのまま事実と誤認することになります。

マルキオンが生まれたのは、彼が活躍した年代から逆算すれば、85年ないしそれ以後でしょう。ポントス地方の出身。ヒュッポリトスはポントス地方のシノペの町の出身としています。今日のトルコ北部、黒海岸の港町です。その教養からして、彼自身ないし少なくとも彼の育った家庭はユダヤ教徒でした。マルキオンの父はシノペの司教でした。つまり、彼は父親と共にキリスト教に改宗したか、あるいは生まれながらにしてキリスト教徒だったと考えられます。しかも彼はその父親から異端として破門されています。

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Tama×まーやー キリスト教質問4

質問4つ目

まーやー8:初めて聖書を手にすると、聖書は分厚いものですから、どこから読んだらよいのか分からないと思います。1ページ目から読もうとすると創世記ということになりますが、それはそれで難しいと思うんですね。初めて聖書を読む場合、お奨めの箇所がありましたら、教えて頂けないでしょうか。

Tama8:そうですね。聖書は全部で66巻で、旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻で構成されています。旧約聖書だと創世記が一番最初の巻で、そこで最初に出てくるのは神が天地を創ったということで、初めてだと中々受け入れ難いことも書いてあります。取っ付きやすい巻だとは言えないですね。

新約聖書ではマタイによる福音書が一番最初にありますけれども、これも一番最初はイエス・キリストの家系図から始まります。そこを我慢して読んでいくと、イエスの誕生、いわゆるクリスマスの出来事も出てくるので面白くなってきますが、中々そこに至るまでに挫折してしまう方も多いと思います。 “Tama×まーやー キリスト教質問4”続きを読む

Tama×まーやー キリスト教質問3

質問3つ目

まーやー:教会というのは町に行けばあちこちにあります。キリスト教じゃなきゃだめと思った人たちが、どういう教会なら安心して行けるでしょうか。全く分からないと全部がカルトのようにも思えるかもしれません。その辺りの区別の仕方を教えて頂きたいと思います。教会に行きたいと思った方への心構えというか、アドバイスはあるでしょうか。

Tama:そうですね。もしキリスト教を選ぶならですと、まずカルトかどうか、ということから話す必要がありますね。キリスト教をかたったカルトというものは多くあります。特に、韓国系・韓国発祥の団体にはキリスト教をかたっている、キリスト教らしきものが多いです。

まーやー5:先生、話を折るようですけれども、韓国系の教会と日本の教会との区別も初めての人には分からないと思いますその辺りが本当に難しいと思うんですけれども、何かその中でヒントになるようなアドバイスはありますか。

Tama:そうですね。見分け方ということですね。一番簡単なのは、カリスマ的な指導者がいるか、いないかということですね。いわば教祖なるものがいるとそれはカルトですね。
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Tama×まーやー キリスト教質問2

質問2つ目

まーやー:こういう生き辛い時代の中で教会に行ってみたい、教会には安らぎとか癒しとかあるんじゃないかと思って教会に足を運ぼうとしている若い人たちがいるのは確かだと思うんですが、もしそういうことを考えている人たちに何かアドバイスがあったらお願いいたします。

Tama:そうですね。おっしゃったように、今の時代は凄く生き辛い世の中だと思います。人間関係的な辛さがあるとか、ストレス社会になってきたというのが大きいですね。ただですね、私は若い人たちが何故宗教的なものに救いを求めたいのかということに注目したいと思います。一つは、今の世の中、テレビとか雑誌とかインターネットとか見ていると、癒しをもたらしてくれるグッズだとか場所とかサービスとかが紹介されてたりしますね。
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Tama×まーやー キリスト教質問1

ブロガーのまーやーさんからキリスト教について色々な質問を頂き、それに答える機会を頂きました。これから何回かに渡ってインタビューを受けた内容についてを投稿していきたいと思います。

初の試みです。

まず、まーやーさんのご紹介をいたします。

まーやーさんは、教会生活を誠実に守ってこられたクリスチャンです。
神を疑うことなく、信仰に生きてこられましたが、昨今の歪んだ教会制度に疑問を感じ、信仰生活に終止符をうつ決心をされました。
今後はキリスト教会の問題点について提議していきたいとのことです。

まーやーさんのブログはこちらとなっていますので、是非ご覧下さい。

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