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教会と日本人

日本のクリスチャンとは何故ここまで日本が嫌いなのだろうか。

私は長年キリスト教会の世界で生きていたので身に染みるほど感じたが、日本の教会とクリスチャンは徹底的に日本が嫌いなようである。ほとんど画一化された傾向である。クリスチャンである限り、日本を嫌いにならなければならないというのか。徹底的に日本を非難し、貶める。よくもまあここまでやるなと思うぐらいである。

私はその様な風潮に飽き飽きしている。クリスチャンであっても何故、日本を好きであると言ってはならないのか?日本人なのだから、日本が好きであっても良いではないか。

しかも、彼らが日本のことが嫌いなのは、事実誤認、改竄された歴史が理由になっている。真実や事実に基づいた上での「好き・嫌い」なら分かるが、そうでないものに基づいて断罪されるのはたまらない。彼らにとっては、クリスチャンになるということは、日本人を辞めるということなのだろう。

教会は多様な考えを受け入れない。特定の思想に支配されている。その思想に従わない限り、教会に属し、クリスチャンとして生活は出来ない。恐ろしい場所である。言論統制が敷かれている社会である。まるで、あの社会に生きているようである。

以前の投稿でも書いたが、教会は極左的思想を持った団体であり、反社会勢力である。

日本人であることと、クリスチャンであるということは両立できないのか。

日本人であるということ

戦後70年以上が経ち、世の中は社会構造、思想、教育が戦前・戦中と大きく変わった。時代が変わるのだから、社会やそこで生きる人々が変化していくのは当然である。しかし、私たちが日本人であるという根本的なところは変わらない。

私は、戦後直後から現在に至るまでの社会の変化に疑問を感じる。端的に言えば「嫌なもの」を感じる。戦後直後から始まった、日本に対する明らかな社会構造や思想・教育への意図的な変更、歴史認識の改竄が行われたことに強い不満を感じる。

今の世の中は明らかに左翼的思想に偏っている。そのことにどれほどの人が気付いているだろうか。殆どの人たちは自分たちが学校教育で学び、育てられていったことが中立的な立場からのもので、それが真実だと思っているだろう。しかし、それらの教育は左翼的からの立場の教育であり、左翼的思想によって歪められたものである。だから、世の中に出回っており、広く信じられている事柄が中立的・中庸なものだとは限らない。

この様な発言をすると、直ぐに右翼的・極右的だと断じられる。しかし、その様な発想に至ってしまう思考が既に左翼的歪められたものであると気付かなければならない。私の発言は右翼的なものではない。中立的な立場からのものである。中立的な立場が右に寄っていると思えてしまうのは、あなたの立場が既に左に寄っているという証拠である。

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