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たまにの暮らし‐tamany‐

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神は死んだ

人間は長い時代、世界を理解するために神をつくりだすことで、世界を説明しようとしてきた。神という概念は大変便利で、世の中のあらゆる現象も不条理も説明することができた。

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孤独の大切さ

人間は関係の生き物であると言われている。

人間は誰かと繋がることで大切なものを共有し合い、お互いに支え合えることができる。人間は誰かと関係することで人間らしさを知り、また発揮することができる。誰もいないところでは人間らしさを発揮できない。人間の心というものは、人間同士の連帯、社会性を発展させるために生まれたものであると聞いたことがある。

誰かと繋がったり、関係することは本当に大切なことである。人間は誰とも関わらない世界では生きていけない。

しかし、昨今の世の中は余りにも関係性が氾濫している。SNSの急速な発展によって、私たちは一昔前では考えられないほどの人々と繋がることが可能になってきた。世界中の人と繋がり、自分の能力を超えた交友関係を持つようになっている。1万人、2万人の人と「友達」となることもできる世の中になった。 “孤独の大切さ” の続きを読む

中国の思惑

「東アジアの覇権をめざす中国に対抗する存在は米国と日本であり、中華という覇権の成否はこの二国との関係のなかでほぼ決まってくる。…こうした中国の大戦略の線上に日本の国連安保理常任理事国反対と反日デモがある。日本を米国から切り離し、かつ中国に従順な国にすることで米国の東アジアへの介入を断念させることが、覇権を確立する最大のポイントである。そのための核ミサイルにもまさる対日戦略兵器が、日本の歴史認識批判というソフトウェア爆弾なのだ。これには、米国の核もハイテク通常戦力も、抑止力とはならない。」―黒野耐『「戦争学」概論』

 

中国は経済的にも軍事的にも強大化し、今や覇権を狙うことが現実的に可能になりつつある。しかし、日本にとっての中国の本当の脅威とは経済でも軍事でもなく、歴史認識批判というソフトウェアにおける攻撃である。
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安全保障

『政府が集団的自衛権の行使に踏み切らないのは、中国や韓国の「日本は歴史を反省していない」という批判を恐れてのことである。だが、そもそも周辺事態は日米が引き起こすのではなく、中国や北朝鮮の行動に対して日米が対応することによって発生するのだ。…新しい安全保障環境のなかで、同盟国アメリカと調整して戦略転換をはかろうという気概のかけらも見られないのだ。…日本は安保条約拡大解釈を恐れて、ひたすら事態の先延ばしをはかっている。』―黒野耐『「戦争学」概論』

 

平和安全法制(マスメディアが安全保障関連法と呼んでいるもの)が成立してからもなお左翼は「戦争法反対」と叫び続けている。彼らは自分たちの主張を正義と確信し、自分たちは平和の為に戦っているのだと謳っている。自分たちの考えや行動が国際的にも認められていると勘違いしている。平和安全法制はナショナリズムの塊であり、戦争を再び起こし、周辺事態に巻き込まれ、自分の子どもを殺すような法律であると主張している。戦争法を廃止することが、他国の為であり、国際協調であり、平和の為であると言っている。 “安全保障” の続きを読む

瞑想の心得3

5.感情の渦、感情・エネルギーの解放

忘我状態を一定時間継続できるようになると、しだいに意識の深みに踏み込んでいく。ここから次のステップに入る。ここからが本格的な瞑想である。忘我状態は意識と無意識の狭間であるが、無意識の領域に入り込むと感情の渦の段階に移る。この領域に入ると、忘我状態の無心で落ち着いた状態から一変して、激しい感情の波に襲われる。自分の心に中に閉じ込めていたあらゆるストレス、不安、怒り、憎しみ、苦悩、苦痛、恐怖、辛い過去、それ以外にも様々な考えや感情などが無秩序且つ爆発的に次々に現れては消える。制御不能の感情の波が止めどなく襲ってくる。自分の心の中に秘められている混沌(カオス)に直面しているが故の状態である。自分の心のうごめきの生々しさに衝撃を受けるだろう。しかし同時に自分の中に本来ある凄まじいエネルギーがこれ程あるのかとも驚かされる。自分という存在を自分自身が制御できる意識からのみ見ただけでは知ることは出来ない、自分の中には制御不能な領域・混沌のエネルギーが渦巻いていることに気が付く。 “瞑想の心得3” の続きを読む

瞑想の心得2

2.瞑想の概要

瞑想の経験のない人が瞑想を行おうとする時のよくある間違いは、いきなり自分の心に入り込もうとすることである。どんなに瞑想に熟達した人でもいきなり自分の心に没入することはできない。瞑想状態に至るにはいくつかのスイッチを押す必要がある。それを無視して瞑想状態に入り込むことはできない。

瞑想には6つの段階がある。それぞれが次の段階のスイッチとなっており、段階を飛び越えて次に進むことは出来ない。 “瞑想の心得2” の続きを読む

瞑想の心得1

1.瞑想についての理解

瞑想と聞くと、小難しくて、宗教っぽくて、特殊な人にしかできない行為だと思いがちである。確かに、瞑想を習得するには訓練が必要である。一朝一夕には習得できるものではない。しかし、瞑想自体は訓練さえ続ければ誰にでも出来る行為である。また、必ずしも宗教的なものとは限らない。また、意外に知られていないが、瞑想は優れたストレス解消法であり、精神的安定をもたらす技術でもある。瞑想とは、何か難しい真理を精神世界に行って探るだけの行為ではない。

ここで紹介する瞑想とは宗教的な内容ではなく、誰しもができる自分自身の心との向き合い方・技術、メンタルテクニックと理解してほしい。 “瞑想の心得1” の続きを読む

あるクリスチャン

今の私にとってみれば、ほとんどのクリスチャンは理性的な思考の足らない人か、偏った思想の持主にしか見えない。特に、聖職者と呼ばれる人々などは偽善者だらけだと感じてしまう。

しかし、最近、あるクリスチャンを思い出す。

その人は、クリスチャンではあったが、真に愛の行動に情熱を燃やしていた人であった。しかも、ずっとである。短い炎で燃え尽きるのではなく、愛に生きるのがこの人の人生なんだなと感じる。多くの牧師たちは口だけである。有り難い言葉を奨めておきながら、自分は愛を実践しない。偽善者である。しかし、その人は違った。口に出すよりも、愛を実践することの方が先だった。その人を見て、私は「この人の真似は出来ないな」と感じた。自分には真似できない生き方を素で実践している人に驚いた。私が出会った多くのクリスチャンの中で、もっとも聖人に近い人であろう。 “あるクリスチャン” の続きを読む

何のために祈る

祈りとは、自分を超えた超自然的存在に向かって、語り掛け、願うことである。

人間が祈るのは、独力ではどうしようもない状況、手が届かない事柄に対して、超自然的存在の力を借りて事態を良い方向にもっていきたいという願いがあるからである。

例えば、宝くじで一等が当たるように祈る。宝くじが当たるか当たらないかは完全に確率の問題である。我々が何かを働きかけて変化することは無い。つまり、私たちの手の届かない事柄である。しかし、是非とも一等が当たってほしい。自分ではどうにもできないことに属しているが、自分に有利に事柄が傾いてほしい。ならば、自分の力を超えている超自然的存在や超自然的力を頼ることで、何か特別な力がかかり、特別な変化がもたらされるかもしれない。その様な願望が超自然的存在に対する祈りとなるのである。 “何のために祈る” の続きを読む

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