生活が豊かな時は窮乏を忘れてはならない。
今の生活が無限に続くわけではない。今立っている土台がいつまでもあるわけではない。
豊かな時こそ、貧しさを心に留めよ。
しかし、貧しさに囚われてはならない。
貧しさに魂を食い尽くされるな。
人間性と尊厳を貧しさに蝕まれる。
さもないと現在を失い、死ぬまで「窮乏」という牢獄に囚われたままになる。
豊かさと貧しさを正しく自分の管理下に置かなければならない。
豊かな時こそ自惚れず貧しさを忘れるな。
貧しい時こそ心を豊かにせよ。
生活が豊かな時は窮乏を忘れてはならない。
今の生活が無限に続くわけではない。今立っている土台がいつまでもあるわけではない。
豊かな時こそ、貧しさを心に留めよ。
しかし、貧しさに囚われてはならない。
貧しさに魂を食い尽くされるな。
人間性と尊厳を貧しさに蝕まれる。
さもないと現在を失い、死ぬまで「窮乏」という牢獄に囚われたままになる。
豊かさと貧しさを正しく自分の管理下に置かなければならない。
豊かな時こそ自惚れず貧しさを忘れるな。
貧しい時こそ心を豊かにせよ。
本能というのはとても大切である。
我々は本能から決して離れることは出来ない。
しかし、本能に人生を乗っ取られてはならない。
我々は人間である。本能が人生の主体者ではない。
理性が与えられていることを忘れるな。理性を携えた「自分」が人生の主体者なのである。
快楽が人生の中心なのではない。
自分の魂を「欲望」という化け物の餌にしてはならない。
最も汚れたものは人間の心である。
色々な思想やルールが人間にレッテルを張り、その人を忌み嫌う。
レッテルを張られた人は社会的、心理的に疎まれる。
まるでその人自身が汚れているかのように扱われる。
しかし、本当にそうなのだろうか。
その汚れは本当に彼からきているものなのだろうか。
その汚れは作り出されてはいないか。
レッテルを張り、汚れを作り出してるのは人間の心そのものである。
清めの儀式を行ったり、清浄化するような儀式を行ったとしても人間の心は清められない。
表面だけを清めても、心までは清められない。
哲学者エピクロスの言葉であるが、「死は私たちには無関係である。何故なら私たちが存在している時には死はやって来ないし、死がやって来る時には私たちは存在しないからである。」
私たちは誰も自分の死を経験することは出来ない。死に至る過程が恐ろしいのであり、私が死ぬ時に私は存在しない。だから、経験するはずのないことを恐れる必要はない。死への恐れは、想像力の生み出す妄想である。
また神を恐れる必要もない。神が存在して祈りが聞き届けられ、願いがかなうなら、世界は既に完全になっているか、既に滅びているかのどちらかである。どちらも起こっていないということは、神は存在していないということである。だから、地獄を恐れる必要もない。存在しないものを恐れる必要はない。神への恐れも、想像力の生み出す妄想である。