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たまにの暮らし‐tamany‐

人生いろいろ ぼちぼち生きましょう

7月 2017

豊かな時こそ 貧しい時こそ

生活が豊かな時は窮乏を忘れてはならない。

今の生活が無限に続くわけではない。今立っている土台がいつまでもあるわけではない。

豊かな時こそ、貧しさを心に留めよ。

しかし、貧しさに囚われてはならない。

貧しさに魂を食い尽くされるな。

人間性と尊厳を貧しさに蝕まれる。

さもないと現在を失い、死ぬまで「窮乏」という牢獄に囚われたままになる。

豊かさと貧しさを正しく自分の管理下に置かなければならない。

豊かな時こそ自惚れず貧しさを忘れるな。

貧しい時こそ心を豊かにせよ。

人生の目的

本能というのはとても大切である。

我々は本能から決して離れることは出来ない。

しかし、本能に人生を乗っ取られてはならない。

我々は人間である。本能が人生の主体者ではない。

理性が与えられていることを忘れるな。理性を携えた「自分」が人生の主体者なのである。

快楽が人生の中心なのではない。

自分の魂を「欲望」という化け物の餌にしてはならない。

最も汚れたもの

最も汚れたものは人間の心である。

色々な思想やルールが人間にレッテルを張り、その人を忌み嫌う。

レッテルを張られた人は社会的、心理的に疎まれる。

まるでその人自身が汚れているかのように扱われる。

しかし、本当にそうなのだろうか。

その汚れは本当に彼からきているものなのだろうか。

その汚れは作り出されてはいないか。

レッテルを張り、汚れを作り出してるのは人間の心そのものである。

清めの儀式を行ったり、清浄化するような儀式を行ったとしても人間の心は清められない。

表面だけを清めても、心までは清められない。

死と神を恐れる必要はない

哲学者エピクロスの言葉であるが、「死は私たちには無関係である。何故なら私たちが存在している時には死はやって来ないし、死がやって来る時には私たちは存在しないからである。」

私たちは誰も自分の死を経験することは出来ない。死に至る過程が恐ろしいのであり、私が死ぬ時に私は存在しない。だから、経験するはずのないことを恐れる必要はない。死への恐れは、想像力の生み出す妄想である。

また神を恐れる必要もない。神が存在して祈りが聞き届けられ、願いがかなうなら、世界は既に完全になっているか、既に滅びているかのどちらかである。どちらも起こっていないということは、神は存在していないということである。だから、地獄を恐れる必要もない。存在しないものを恐れる必要はない。神への恐れも、想像力の生み出す妄想である。

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