愛を良いものと教える宗教がある。
神の愛を至上の救いとする宗教がある。
しかし、ほんとうにそうだろうか。
たしかに、愛は人やものを大切にする。
しかし、愛の性質とは本質的に独占欲と執着心からできている。
どちからというとネガティブな側面から来る感情である。
自分のものである、自分にとって大切だから愛があるのであって、関係性が無ければ愛など生まれない。
独占欲と執着心からくる庇護であって、裏切られれば恨みや怒りに変わらないだろうか。
これはユダヤ教の神、キリスト教の神の姿そのものだろう。
それらの宗教の神は人間の完全な自由と自律を望んでなどいない。あくまで自分のものであり、自分のもとから離れず、裏切らない人間だけに与えられる愛と庇護である。裏切者には神の怒りと地獄が待っているのである。
信じている人だけが救われて、信じていない人間は救われないという構図そのものが、正にこれらの神の愛の性質を表しているだろう。
自分のものである人間だけは救うが、そうでない人間などどうでもよいのである。
なんて狭い心、恐ろしいまでの独占欲と執着心なのだろうか。
人間の自由、人間の自立を完全に否定し、自分の作った檻の中に閉じ込めて可愛がろうとすることが、それらの宗教が説いている愛なのである。