私たちは言語や非言語(表情や仕草など)を用いながら。他者と意思疎通を図っています。

しかし、私たちが生きる世界は誤解や偏見、事実誤認から様々な争い事が絶えず起こり続けています。

コミュニケーションの齟齬は人間関係の小さな争い事だけでなく、時に殺人、また国レベルでは戦争にまで発展することがあります。

なぜ、私たちの世界はこんなに争い事が多いのだろうか?

なぜ、こうまでコミュニケーションとは不完全で、不確定なものなのか?

私はそれを考えてきました。

そして、私なりの答えが1つ見つかりました。

それは「認識」です。

私たちの「認識」そのものの根本的な欠陥、認識の不確定性、認識の不完全性。

それがあらゆる齟齬の原因です。

これから何回かに分けて「認識」についての自論を語っていきたいと思います。

この考え方は、既に哲学で論じられている可能性が大いにあります。

むしろ、長い哲学の歴史上、「認識」について考察されていないわけがありません。

なので、これから論じることは、私自身が結論付けた1つの見方であると考えてください。

今回は、ここまでです。本論は次回からです。

広告