3.原始神道とは何か

原始神道・古神道と呼ばれているものは、ある時点で誰かによって創始された宗教ではありません。キリスト教や仏教の様に、創始者がいて、教典があり、教えを広めた特別な宣教者がいるという訳でもありません。

原始神道とは、縄文人の生活の知恵の結晶であり、生活の道といえるものです。神道は、惟神の道(かんながらのみち=神と共にあるという意味)とも呼ばれています。原始神道とは縄文人・日本人の生き方そのものです。だからこそ、原始神道は縄文人が自然に対して抱いていた畏敬の念によって生まれてきたものであると言うことができます。

縄文人は非常に感受性が豊かな人々でした。それは、自然をモノとして唯物的に見るのではなく、自然の中にある豊かな生命力を感じ、そこに生命への根源的な働きが表れていることを感じ取ったのです。そして、その自然の中にある生命力に、自分たちを超えたものがあると悟り、これを神と捉え、畏れ、崇めるようになっていったのです。

縄文の人々は、目に見えないもの、見ることが出来ないものの裏を感じ取り、尊んでいました。だから例えば、太陽は全ての生きとし生けるものに、生命力を与える大いなるものであると、彼らは考えました。

そして、この様な自然への畏れは、自分たち人間が自然の恩恵を受けることで生かされているのだ、という気づきへと繋がっていきます。そして、この気づきが、豊穣の祈りであったり、収穫感謝となって、自分たちを生かしている自然への願いや感謝として表現されるようになっていったのです。

そして、自然への畏れと感謝は、ありとあらゆるものは自然によって命を与えられている、という考えにたどり着きます。原始神道では、私たち人間は自然という神が生み、自然という神によって育まれた存在であり、その霊魂を一人一人が受け継いでいると考えます。つまり、人間そのものが御神体であるのです。

また、縄文人たちは、世代が繋がっていること、生まれ・生むということを、大変不思議に感じていました。縄文人は生まれ・生むという不思議さに思いを巡らすことから、今の私たちがあるのは、先祖が自分たちを生んでくれたおかげであるということを知ります。それが祖先崇拝に繋がっていきます。祖先を敬うということは、今ある自分たちの生に感謝するということと同じです。

原始神道においては、善悪という概念は存在しません。むしろ、美醜で判断しました。縄文の人々は、物事の本質、物事の裏を見抜く力に長けていました。

例えですが、人間の感情は表情には出てこないことがあります。本心はどうであれ、人前では表情をコントロールすることができます。つまり、顔という表・面・オモテには心は表れません。逆に言えば、顔の裏には心があるということです。顔の裏にある心にはその人の本質が隠れているといえるでしょう。

縄文の人々は、その人の顔の裏、心の奥を見抜いて、心が美しいとか、醜いと直感的に感じたのだと思います。

そして、感性が豊かで敏感な縄文の人々は、目に見えないが、しかし力あるものとして、別の世界があると考えました。縄文人は大きな世界観、宇宙観を持っていました。そして、彼らは別の世界=天・常世(とこよ)と、自分たちの世界=現世(うつしよ)を繋ぐ方法を考え出します。それが、ヒモロギ(神籬)です。

元々、縄文の人々は、山は神様が降臨する神聖な場所であると考えていました。この神聖な場所の境界線を、磐境(いわさか)として定め、そこに岩を積み重ね、磐座(いわくら)を築き、その中心を神籬(ヒモロギ)としました。ヒモロギとは「霊天降る樹(ひあもるき)」だそうです。つまり、神の御霊が下りるところという意味です。神籬とは、神を常世から迎える座であり場なのです。縄文の人々にとって、神聖な山は、常世との境目であり、神籬とは常世と現世を繋ぐ柱でもあり、神の拠り所だったのです。そしてまた、この神籬こそ、現在の社、神社の原型とも言われています。

原始神道とは、縄文人の生活そのもの、人生そのものでした。その生き方は、堅苦しいものではなく、恵みを与えてくれる自然を畏れ・感謝し、人生を楽しむ生き方でした。なるべく美しい心をもって、なるべく楽しい思いをする。なるべく良い考え方をもって、なるべく良いことをする。これが、原始神道です。縄文人は、自然の中で神と共に生きていました。正に、惟神の道(かんながらのみち)、神と共にある道を縄文人は歩んでいたのです。

次回の「縄文文化と原始神道」は土曜日ごろになると思います。

縄文文化と神道3

金峰山2600m地点の磐座。高さ16m。

縄文文化と神道4

瑞牆山(みずがきやま)の磐座、大やすり岩。高さ40m相当。

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