以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。
旧約聖書という矛盾
キリスト教の新約聖書の正典化の歴史における「旧約聖書という矛盾」はパウロに最も顕著に表れています。
パウロにとってキリスト教の福音は明瞭にユダヤ教の否定的克服でした。しかし、矛盾することに、彼にとって旧約聖書はおそらく他のどのキリスト教徒にとってよりも絶対的な正典的な権威でした。このパウロの在り方が、これから形成されていくキリスト教の抱え込まざるを得なかった最大の矛盾として残るものです。
新約聖書の正典化の歴史とは、この矛盾をどう解消するかという、数百年に渡るキリスト教会の苦闘の結果だったと言えます。もっとも、結局その矛盾は解消しきれずに今日に至っています。
キリスト教がユダヤ教からの分派としてではなく、確固たる枠組みをもった全く別の宗教であるためには、ユダヤ教の正典ではない自分たち独自の正典を持つ必要がありました。けれども、昨日今日書かれたばかりの自分たちの新しい文書がいきなり旧約聖書を超える権威とはなり難いものです。だから、明確に旧約聖書を超える新約の正典を持つに至るまでに、キリスト教は数百年の年月を必要としたのです。
しかし、そこから徐々に新約正典が確立していったとしても、ある時いきなり権威のある旧約聖書を捨てることはできません。それまではこれがキリスト教徒にとっても唯一の「書物」だったのです。従って、新約正典がほぼ成立するようになっても。旧約は新約と並んでキリスト教会の正典として残り続ける必要がありました。
イエスによって既に克服されたけれども、しかしキリスト教会にとって決して克服されてはならない正典として。
パウロは、その神学理論のほとんど全てを旧約聖書に基づいて立証しようと努力しています。彼にとって旧約聖書こそ絶対的な真理の保証であって、宗教的な真理はこれによって裏付けられて初めて真理であることが保証されると考えていました。ところが、パウロがこの様に一生懸命に旧約聖書から論証している「福音」は、少なくともパウロにとっては旧約聖書が終わらせるはずのものでありました。「キリストは律法の終わり」(ローマ書10:4)なのです。
パウロほど明晰に正典宗教というものに生命力の枯渇を感じ取り、それをはっきりと批判した人物は新約の著者たちの中にはいません。もしも、信仰の中身を「正典」の枠の中に閉じ込めてしまったならば、それは生きたものとなりません。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」(Ⅱコリント3:6)のです。このパウロの言葉は、正典宗教そのものに対する根底的な批判です。
つまり、パウロのユダヤ教の克服は、単にユダヤ教の個々の要素についてだけでなく、その基本的構造であった正典宗教なるものの克服と同義でした。文字が固定された権威となる時、そこにはどうしても動きの取れない硬直が生じます。律法をできる限り良心的且つ徹底的に信奉しようと努力してきたパウロであるからこそ、逆にその点を克服しない限り、生きた宗教にならないということを知っていたのだと思います。
ここまではっきりと正典宗教を克服するという課題を自覚的に宣言した人物が、その宣言を保証する権威として、相変わらず旧約聖書に寄りかからざるを得なかったということは非常に悲劇的なことです。
まとめ
初期のキリスト教徒にとって、旧約聖書は信仰の決定的根拠たる正典ではありませんでした。いわばキリスト教信仰の前段階の保証でしかありません。彼らにとっての信仰の根拠はあくまでも「キリスト」でした。信仰者にとっては復活し、今も行けるキリストこそが唯一の権威であって、それは旧約聖書を否定的に克服したものでした。しかし、自分たちが持つことが出来た唯一の権威ある書物は旧約聖書だけだったのです。そこに古代キリスト教の自己矛盾がありました。しかもそれは、解消すれば自らが消滅してしまいかねないような自己矛盾でした。
キリスト教は正典宗教として出発したのではなく、正典宗教を克服するところから出てきた新興宗教なのです。その新興宗教であったキリスト教が何故、再び正典宗教になったしまったのでしょうか。
旧約聖書に代表されるユダヤ教を克服することで出てきたキリスト教が旧約聖書だけを唯一の権威ある書物として担ぎ歩くという矛盾した状態はかなり長い間続きましたが、いつまでも続けられるものでもありませんでした。それこそが、キリスト教が新約正典を必要とした大きな理由の一つです。旧約聖書だけを唯一の権威ある書物として持ち続けるという矛盾を解決するためには、自ら正典を確立する以外にはありませんでした。
しかし、新約正典成立の理由はそれだけではもちろんありません。次回は「異端」から正典が始まったという視点で紹介したいと思います。