ブロガーのまーやーさんからキリスト教について色々な質問を頂き、それに答える機会を頂きました。これから何回かに渡ってインタビューを受けた内容についてを投稿していきたいと思います。

初の試みです。

まず、まーやーさんのご紹介をいたします。

まーやーさんは、教会生活を誠実に守ってこられたクリスチャンです。
神を疑うことなく、信仰に生きてこられましたが、昨今の歪んだ教会制度に疑問を感じ、信仰生活に終止符をうつ決心をされました。
今後はキリスト教会の問題点について提議していきたいとのことです。

まーやーさんのブログはこちらとなっていますので、是非ご覧下さい。

それでは対談の記録です。

まーやー:Tama先生、よろしくお願いします

Tama:こちらこそ、よろしくお願いします。

まーやー:それではまず一問目としまして、日本ではキリスト教人口が1%という壁が戦前戦後としてありますが、それを超えられない理由・原因・要因等をどのようにお考えでしょうか。

Tama:そうですね。現在、正確に言うとキリスト教人口は1%未満なんですね。おそらく0.8%ぐらい(*正確には0.82%)が現在のキリスト教人口です。しかも、その中にはクリスチャンだけれども現在教会に行っていないような人も含まれているんですね。(*補足すると、キリスト教人口と呼ばれているものは教会員名簿に載っている人の数を単純に合計したものに過ぎないので、実際には教会にもう来ていない人もこの様に含まれてしまうケースが発生する)ですので、実際に毎週日曜日に礼拝に来て、奉仕されている人数はもうちょっと少ないと思います。つまり、日本のクリスチャン人口というものは非常に微々たるものであるということです。お尋ねになられた「何故1%の壁を超えられないのか」ということですけど、一つは日本にキリスト教が上手く土着化できなかったのが原因であると一般には言われていますし、私もそう思っています。

日本にキリスト教が入ってきたのは、カトリックはフランシスコ・ザビエルが来た時から(1549年)、プロテスタントは19世紀からです。ザビエルの時代においては民衆に広まりましたが、プロテスタントは知識人とか比較的社会的身分の高い人から受け入れられました。例えば、旧武士階級などに広まりました。その背景としては、彼らは明治維新によって武士の階級を奪われて、新しい世に対して不満を持っていました。自分たちの失った身分や心の拠り所を何に求めたかというと、彼らは西洋のキリスト教に救いを求めました。キリスト教の宣教者たちにしても無知な民衆よりも、ある程度教養があり世の中に不満を持っている武士階級を狙っていったのだと思います。その結果、キリスト教はある程度の層には広まっていきました。ただ一つの限界として、知識階級に入ってきたものだから、キリスト教はそういう人のための宗教であるという誤解が広まってしまったのだと思います。つまり、敷居が高くなってしまったのですね。そういう意味では、民衆にとっては自分たちには教えが難しいから理解できないんじゃないかと感じてしまったのでしょう。

そして、もう一つは、プロテスタントは知識階級に入っていった故に土着化が余り起こらなかったんですね。土着化というのはどういうものかというと、ブラジルのカトリック教会が典型的な例ですね。ブラジルのカトリック教会のマリア像とかイエス様の像は肌が浅黒いですし、キリスト教の行事も自分たちの文化や伝統を混ぜたものとなっています。また、教会の作り(構造)であったり、礼拝の仕方というのも西洋のキリスト教に自分たちの伝統文化を取り込んだものにしています。これらが土着化と言えます。つまり、輸入した宗教を自分たちの伝統や文化に合わせて受け入れ易くしていくのが土着化と言われています。本来、日本の宗教的な歴史においては、例えば仏教ですが、自分たちの伝統や文化に合わせたものとして変えていくことをしてきました。

しかし、プロテスタント教会においては、入ってきた層が知識人だった為、下手に西洋のことが分かるからそのまま受け入れたんですね。そして、自分たちの伝統や文化と対比した形でキリスト教というものを捉えていたので、自分たちの伝統や文化に染めるのではなく、キリスト教をキリスト教として受け入れていきました。明治の世にあっては、西洋文化を自分たちの文化と区別することで、新しい文化として際立たせるようにしていました。そのため、キリスト教はキリスト教としてアメリカとかヨーロッパからの直輸入という形で広がっていったのだと思います。

話は変わりますが、私が訪ねた古いカトリック教会の中には、教会の構造(=礼拝堂)が土着化していたものもありました。例えば、信徒の席が長椅子ではなく座敷となっている教会がありました。しかし、今のプロテスタント教会においては礼拝堂の構造も礼拝の形式も西洋そのままですし、日本的なものはほとんどないですね。また、周囲からもそういうものがキリスト教だと思われています。そういうキリスト教は自分たちと異質なものであるという認識がずっと続いているということですね。これらがクリスチャン人口が日本において1%の壁を超えられないのかという要因の一つですね。

現在の多くの日本人において、個人的に特定の信仰を表明する人は余りいません。けれどもそういうことをしない人でも神社やお寺が好きだ・親しみを持っている人はとても多いと思います。自分は神道を信じている、仏教徒であるという訳ではないですが、親しみを感じている。それは神道や仏教が無意識的であっても日本人の精神的・文化的な基盤となっているということでしょう。逆に言えば、未だキリスト教は日本人の精神的・文化的な基盤となっていないということです。やはりどこかキリスト教は外来のものということがちらついているのでしょう。例えば、クリスマスとかイースター、バレンタインなどのイベントに乗っかるということはあっても、自分たちの精神的な基盤であるかというと、そうではない。故にクリスチャンになるには日本人としての意識を飛び越えることが求められます。つまり、自分は伝統的な日本人の考えとは違う考え方を持つのだというようなことでしょう。そういった、飛び越えないといけないというものがあるので、なかなか自然にはクリスチャンにはならないということでしょう。

後もう一つですが、カトリック教会が戦国時代に伝来してきましたが、豊臣・徳川によってキリシタン禁止令が敷かれました。それが何百年という長い時間出されていました。そうすると、明治政府になり、キリシタンを弾圧するのはよろしくないという諸外国の圧力によってキリシタン禁止の高札が撤去されて、形式的には迫害から自由になったと言われています。しかし、何百年間もキリスト教が邪教と言われ続けてきたので、キリスト教は受け入れ難いという否定的な感情が一般的なものとなっていました。キリスト教は危ないものだと。そういう歴史的な背景の為に、キリスト教がそもそも広まりにくい環境にあったとも言えるでしょう。

すいません。後もう一つあります。頂いた質問というのは、非常に深い質問です。遠藤周作の『沈黙』という小説は有名です。その小説の中で遠藤周作は非常に鋭い視点を持っています。それはキリスト教という文化というか考え方が、日本人の精神には根付かないものだという考え方ですね。根が張り付いても、泥沼だから根が腐ってしまう。そういう表現を遠藤周作はしていたと思います。小説の中での話ですけれども、当時の宣教師たちが必死に宣教しても、キリスト教の教義などの根本部分が日本的なものとして塗り替えられてキリスト教が理解されてしまうことが起きてしまいました。(*これは土着化とは違う。土着化は教義などの根本部分ではなく形式的な部分に文化的な適応が起こる現象。上記の様に教義などの根本部分が塗り替えられるのは宗教的な汚染)だからキリスト教の真髄というものが理解されなかったのだと思います。

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