戦後70年以上が経ち、世の中は社会構造、思想、教育が戦前・戦中と大きく変わった。時代が変わるのだから、社会やそこで生きる人々が変化していくのは当然である。しかし、私たちが日本人であるという根本的なところは変わらない。

私は、戦後直後から現在に至るまでの社会の変化に疑問を感じる。端的に言えば「嫌なもの」を感じる。戦後直後から始まった、日本に対する明らかな社会構造や思想・教育への意図的な変更、歴史認識の改竄が行われたことに強い不満を感じる。

今の世の中は明らかに左翼的思想に偏っている。そのことにどれほどの人が気付いているだろうか。殆どの人たちは自分たちが学校教育で学び、育てられていったことが中立的な立場からのもので、それが真実だと思っているだろう。しかし、それらの教育は左翼的からの立場の教育であり、左翼的思想によって歪められたものである。だから、世の中に出回っており、広く信じられている事柄が中立的・中庸なものだとは限らない。

この様な発言をすると、直ぐに右翼的・極右的だと断じられる。しかし、その様な発想に至ってしまう思考が既に左翼的歪められたものであると気付かなければならない。私の発言は右翼的なものではない。中立的な立場からのものである。中立的な立場が右に寄っていると思えてしまうのは、あなたの立場が既に左に寄っているという証拠である。

私の立場は保守的な中立である。中立であるということと、保守であるということは別物である。また、保守であるということと右翼であることは全く別物である。そこを前提として理解いただきたい。

私は日本人として、本当の日本人らしさとは何かを求めていきたい。戦後の恣意的に変更された思想の中で作られ、与えられていった日本人像ではなく、もっと根本的なところから生まれてきた本当の日本人像を探していきたい。

さて、話は大きく変わるが、昨今の世の中は国際情勢の激変などによって、各国は多様性を締め出し、かたくなで排他的な態度を取り始めている。この様な国際的な態度の変化は数年で終わることがなく、これからの益々過激になっていくことと予想される。つまり、多様性を排除した国粋主義的な立場を取る国々が増え、世界的な緊張が高まるだろう。私はこの様な時代に入っていくことを憂えている。

私が保守であることと、多様性が失われつつある世界を憂えることを矛盾だと考える人もいるかもしれない。しかし、その両立は可能である。むしろ、本当の保守主義というものは本来多様性を否定する考え方(排他主義)ではないからである。左翼的教育を受けて育ってきた人たちからすると、保守主義と国粋主義(=右翼)との区別がつきにくい。

保守というのは、単純に言えば、自分たちの属している国やその文化などを誇りに思う、大切に思うということである。逆に言えば、ただそれだけのことである。自分たちの国や文化などを誇りに思うということは、その国で育ってきた自分自身のアイデンティティーを尊重するということでもある。自分自身と自分が育ってきたこの国を大切に思うという気持ちを持つということは、右翼的でもなければ、非難されるべき思想でもない。この様な考え方は特段変わったものでも、特異的な発想でもない。ごく自然な考え方ではないだろうか。保守であるということは、ごく自然な態度のことを言っているだけである。逆に、この様な保守の考え方すら認められない社会であるならば、それは左翼化された社会であると言えるだろう。今の日本は正にそうである。

真に保守であるということと、多様性を認めるということは両立できる。また、保守であるということと排他主義は結びつかない。「私は私の国や文化や伝統に誇りを持っています。それと同じように、あなたの国も素晴らしい文化を持っているんですね。」と言える。保守は自国への思いだけではなく、他国への尊敬も忘れない。保守主義の発想の根底には、「良さを認める」ことがある。「良い」ところは尊敬・尊重する。そこから、各国の連帯や協調、多様性を認め合うということが生まれてくる。むしろ、お互いに自国の文化に誇りを持つということは、多様性を認める上で非常に重要な要素である。もし、自国を卑下して、一切に誇りに思うところがなく、一方的に相手に国だけを褒めるようなことがあったらどうだろう。相手からすれば、おもねっているようにしか見えず、そんな国を本当に好きになれるだろうか。多様性を認めるということは、互いに自国を誇りに持っているからこそ成立することである。また、自分自身のアイデンティティーが確立されていないで、どうして多様性を受け入れられようか。

排他主義・国粋主義とは、保守主義とは全く異なる発想から成立している。排他主義・国粋主義とは、他国を否定するところから出てくる思想である。他国の文化や伝統を否定し、排他的に扱うことで、「ほら見ろ、自分たちの方が優れているではないか」と主張することである。この考え方は、自国を誇りに思うことからは始まらず、相手を攻撃し、貶めることで、結果的に自分たちの方が優れていることを主張しているのである。発想の根底には劣等感がある。排他主義・国粋主義は、常に攻撃的であり、かたくなであり、排外的態度を取る。むしろ、その様な態度を取らなければ、自分たちを優位に思うことが出来ないのである。故に、保守主義とは発想が根本的に異なり、また多様性を認め合うこともできない。

以上が、保守主義と排他主義・国粋主義との区別である。

どのような価値観を持つかは個人の自由である。しかし、それは洗脳されたり、歪められたりされた価値観よりも、真実や事実に基づく価値観を持ちたい。少なくとも私はそう思っている。

 

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