平和とは『スーパー大辞林3.0』によると「戦争もなく世の中が穏やかであること」と書いてある。その様な説明を受けると、平和とは状態を表す概念だと思ってしまう。つまり、平和とは静的なものであるという認識である。しかし、私はそうは思わない。

現在、何を勘違いしてか、安全保障法と戦争法と決めつけ、やたら戦争反対と騒いでいる。私にはそれらの運動には黒い思惑が隠れているようにしか思えない。安全保障を充実させることが何故戦争に結びつくのか。

それは、彼らが平和という概念を勘違いして理解しているからではないか。

平和とは獲得概念である。平和とは自分たちで作り出し、手に入れていくものである。現在、世界的なリスクが高まり、国際的な緊張が高まる中にあって、その荒波から生き抜くためには自ら平和を獲得していくしかない。その方法の一つが安全保障をより充実されていくことであり、同時に一層に外交に力を注ぐことが求められる。荒波の中、自分の船が沈まないようにするのが国家の責任である。この様な荒波の中にあって、現状維持に留まり、手をこまねいて何もしないで、ただ沈むだけを待つことは無責任である。1億2000万人の命が乗っている船がただ沈むのを見ているだけなのは許されることでない。国家は責任を果たす義務があり、それを果たすことが当然である。その取り組みの一つが安全保障の充実である。平和とは待っていてもやってくるものではない。現状を維持していることが平和なのではない。

何を勘違いしてか、戦争反対、平和などと騒ぎ立てる輩がいるが、彼らは平和という概念を理解しているのか。非常に無責任である。

現に戦争状態であり、戦争に大義がないか、戦争をこれ以上続ける必要がない、かえってリスクや負担の方が大きい場合に、反戦を求める運動があることは当然である。平和とは獲得概念であるから、戦争から平和を求め、平和を手に入れていこうとする行動はあって然るべきである。

平和を状態と捉え、静的なもの・固定化されたものであると捉える時、平和は崩壊する。世界情勢は常に動き続け、その流れに合わせてこちらも変化が求められる。ある状態に固執し、変化を拒むなら世界情勢という流れに込みこまれ沈んでしまう。平和とは自分たちで作り出していくものである。世界情勢の変化を読み取り、リスクを最小に抑え、各国のバランスを保つことで平和というものを手に入れていく必要がある。各国のバランスが変化する中で、自分だけ変化を拒む時にこそ、戦争が生まれるのである。世界情勢の流れに合わせて、必要に応じて自らを変化させていくことでバランスというものは保たれる。そのことを忘れてはならない。