古い時代に生きる人は「昔は良かった」と言います。

そんな人を揶揄して懐古主義者と呼びますが、一概に懐古主義がすべて悪いとは思いません。

懐古主義者の人はなぜ「現在」よりも昔を良いものであると考えるのでしょうか?

おそらくそれは、「過去」にこそ自分のアイデンティティがあるのでしょう。

「昔は今と違ってもっと~だった」。

そんな思いが浮かんでくるのは、単に昔を懐かしんでいるだけではなく、「過去」が自分にとってかけがえのない価値のあったものであると感じているからです。

「現在」にはもうない、失われてしまったものを、「過去」に求めているのでしょう。

「過去」こそ自分らしく在ることができた。

「過去」にあった物事こそ、自分のアイデンティティ形作ったものであった。

だから、それらが失われてしまった「現在」には、自分らしく在ること、自分のアイデンティティを見出すことが出来ないのだと思います。

自分らしく在れない時代に生きるということは非常に辛いものがあります。また、寂しさもあります。

それは、自分の尊厳を失ったまま生きることと同じだからです。

そのような「現在」への生きづらさを抱えた人たちは懐古主義者として古い時代を生きることで、自分の尊厳を取り戻そうとします。

過去の栄光に溺れるということとは違うと思います。

そうではなく、自分が最も自分らしく在れたことを懐古することで、「現在」と「過去」のギャップを埋めようとしているのです。

時代が変遷していくにつれて、誰もが懐古主義者になる可能性があります。

一方で懐古主義がいきすぎると、「過去」のみに固執し、「未来」への変化を拒み、革新を軽んじるようになるという弊害があります。

 

さて、新しい時代に生きる人は、現状に不満を抱いています。

彼らは革新主義者と呼ばれても良いと思います。

彼らは常に「未来」を志向しています。

革新主義者もまた、「現在」に自分らしく在ること、アイデンティティを見出すことができない人々です。

彼らが望んでいるもの、自分らしく在るべきものが「現在」には完全には存在しないのです。

自分らしさを見いだせないまま、生き続けなければならないことは非常に辛いものです。

常に不完全な自分、満たされない尊厳を抱えたまま生きるのです、

懐古主義者は「過去」を振り返ることで自分らしく在れたこと思い出せますが、革新主義者には手元に自分らしさはないのです。ここが革新主義者の辛いところです。

だからこそ、革新主義者は「現在」を変えて、「未来」をつくろうとします。

今の時代が自分らしく在れないならば、完全に自分らしく在れるように時代を変えていくしかありません。

「未来」への挑戦は、自分らしさの為の戦いです。

そのような自分の尊厳、自分らしさを求め続けることこそ、革新主義者の生きがいともいえるでしょう。

彼らは「未来」に生きているのです。

しかし、革新主義もいきすぎると「過去」の積み重なりの意味を軽んじ、伝統への敬意を失うという欠点があります。

懐古主義も革新主義も自分らしく在ることを求める心の動きなのだと思います。

どちらも「現在」に自分らしさを見出すことのできない、生きづらさと葛藤から生み出されたものであり、それが「過去」を振り返るか、「未来」に求めるかのベクトルの違いなのだと思います。

懐古主義と革新主義のお話でした。

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