神道とは、日本に固有の信仰体系であると言われています。神道と聞けば、多くの人は日本人の宗教と自然に考えるでしょう。
しかし、ちょっと考えれば気付くことですが、私たちは、自分たち自身の先祖のことについてほとんど知っていません。
今回からの「縄文文化と原始神道」では、何回かに分けて神道がどのように生まれてきたのかについて考えていきたいと思います。まず最初は、原始神道が生まれることになった古代の日本について考えていきます。
1.日本人とは何か
私たち日本人の祖先は、少なくとも2万年前に今のロシア南東部のバイカル湖付近に住んでいた人々が日本列島に入ってきたり、東南アジアの人々が入ってきたことが始まりだとされています。
その人々が、原日本人である縄文人と呼ばれる人々になっていきました。これからの数回の「縄文文化と原始神道」で考えていきたいのは、この縄文人が神道の原型である原始神道を生み出していったということです。
この縄文人は、1万年以上の長い期間、温暖な気候である日本列島に住みつき、独特の文化を形成していきます。この縄文人は、南北に生活地域を広げていきました。北は北海道、南は琉球です。
1万年以上に渡って一つの文化形態が持続・継続していったことは世界的に見ても類のないものです。それも狩猟採集が中心の定住文化だったことは驚きです。
世界史的には、多くの文明が狩猟採集から農耕に転換することで定住性と安定性、持続性を見出していきましたが、縄文文化は狩猟採集を中心とした生活形態の中から定住性と安定性を獲得する独自の文化を築いていきました。狩猟採集を中心とした縄文文化の持続性・継続性が今、世界から注目されています。
しかし、転機が訪れます。気候が寒冷化するにつれて、今の中国東北部から江南地方に住んでいた人々が、縄文時代の終わり頃、朝鮮半島経由で西日本に渡来し始めます。この渡来の期間は非常に長く1000年近く続いたと言われています。
はじめは気候の変化による移住が主な理由でしたが、次第に、渡来の理由が変わっていきます。後期の渡来は、大陸や、朝鮮半島の政治的な理由により、大量の難民が渡来してきたと考えられます。
DNAのY染色体によって現在の日本人を分析すると、日本人はD2系統とOb2系統が中心であることが分かりました。D2系統とは縄文人のことであり、Ob2系統とは当時、中国東北部や朝鮮半島に住んでいた人々、つまり渡来人のことを指しています。
しかし、誤解してはいけないことがあります。この渡来人であるOb2系統の人々、つまり紀元前3世紀以前に住んでいた中国東北部の人々や朝鮮半島の人々は、現在の中国人や韓国人とは全く異なる民族である、ということです。現在の中国人や韓国人はO3系統に分類される人々です。つまり、渡来人=現在の大陸に住んでいる人という訳ではありません。
現在の研究によると、1000年近くに及ぶ渡来の結果、日本列島に先住していた縄文人よりも、渡来人の数が遥かに上回るようになったそうです。そして、渡来人は縄文人と混ざりながら、日本列島全体に広く分布するようになりました。そしてこれが、現在の日本人、特に本土に住んでいる日本人となったと言われています。しかし、今もアイヌや琉球に住んでいる人々は色濃く縄文人の血を受け継いでいます。