『論語』は、孔子とその高弟たちの学問集団の活動・発言などを記録し纏め上げた20巻からなる書物です。

『論語』は孔子の生前に出来上がったものではありません。『論語』は孔子の死後約100年程経った頃に、孔子を中心とした学問集団の後継者たちによって書物が集積され、編纂されたものと言われています。内容は孔子の言動、孔子と弟子たちとの問答などの記録です。

この様な宗教的や哲学的指導者の言行録が正典として成立していく過程は世界的に見ても共通するところがあります。キリスト教の新約聖書、仏教の仏典、ソクラテスの対話編なども同じような過程を経て、それぞれは正典化していきました。

孔子の活動・学問の目的は、夏・殷・周の伝統を体系立てて纏め上げることで、それを基盤として、新しい人類の理想、つまり「仁」を見出し、「仁」を現実の社会で実践、また実現することにありました。

その為に孔子は、当時既に形骸化していた伝統儀礼に対して新しい解釈をする必要がありました。これが当時の主流の学問集団に対する先駆的・革新的な側面と言えるでしょう。

孔子の教えによると、「仁」の境地に到達した者こそ、完成された理想的な人間像であり、孔子の言葉によると「君子」と呼ばれる者です。「仁」が孔子の思想の根本理念であり、一貫した徳目です。孔子は「仁」に至る生き方を生涯探求し続けました。

「君子」こそが真の指導者であり、「君子」の「仁」により混沌とした時代が理想的に統治される。孔子はそう考えていましたが、実際はその教えは孔子が生きている時代においては受け入れられず、理想と現実の狭間で苦しみながら、不遇のうちに世を去らなければなりませんでした。

孔子の弟子たちは、孔子の理想を受け継ぎ、その理想が失われないものとするため、また孔子の教えを規範とするために『論語』を編纂するに至りました。

『論語』は、応神天皇の世の時に、百済より王仁によって伝えられ、日本の教育と学問の中心の一つとなりました。『論語』は単に儒家の重要な教典の一つである以上に、日本の精神史を形作る上で、極めて重要な役割を果たしています。

私は一時期『論語』を毎日読んでいました。現在では5回は通読したと思います。専門家ではないですが、趣味としてたまに『論語』から感銘を受けた言葉を選んで投稿していきたいと思います。