一時期Tamaはアッシジの聖フランチェスコにはまっていました。それなりの量の伝記を読んだなという記憶もあります。

以下は、その当時の記憶をたどって、私にとって特に印象的だったフランチェスコについてのお話です。

1.アッシジのフランチェスコとは

フランチェスコは1181/1182 年にアッシジで生まれた聖人で、フランシスコ修道会の創始者でもあります。

フランチェスコは若い頃、かなりの遊び好きで、毎晩仲間たちと宴会を開いて「宴の王」と呼ばれており、親からも呆れられていました。しかし、彼はある時、教会の十字架からイエスの「行って、私の家を建て直しなさい」という神秘体験をし、回心しました。

その後、彼は世俗を捨て、托鉢をしながら宣教をしました。その時生まれたのが、後のフランシスコ修道会の原型になる「小さき兄弟会」です。「小さき兄弟会」の宣教はヨーロッパ中で行われ、フランチェスコはイスラム教国において初めてキリスト教を伝えた宣教者となりました。

また、伝説によると彼は小鳥に説教したり、狼と街の人を和解させたりしました。彼の基本的な精神は貧困・単純・謙遜・実践であり、今では彼の信仰生活のことを「清貧」と呼んでいます。そして、彼は死後、わずか2年後の1228 年に教皇グレゴリウス9世によって列聖されました。

2.フランチェスコの自然観

フランチェスコの自然観は彼の伝記の中にも記されていますが、端的に表れているのは、彼が死ぬ直前に口述で兄弟に書き取らせた『太陽の賛歌』に見られます。

太陽の賛歌は全14 節で構成されており、1 節~9 節が自然において、10 節~14 節が病気・平和・死において神を賛美しています。この歌の特徴的なところは太陽・月・星・風・空気・天候・水・火・大地の各事象、存在を兄弟姉妹として呼んでいる点です。フランチェスコは生物・無生物・物体・現象などを全て含めて兄弟姉妹と呼んでいました。彼の思想の根底は、キリスト教の世界観である「世界は神の被造物である」という概念が前提としてあります。フランチェスコは、被造物は皆互いに兄弟姉妹なのであると考えていました。つまり、人間を含めた自然全てが一つの家族なのだという思想です。

故に、被造物は互いに親しく、尊敬し合い、大切にしなければならないと考えていました。また、兄弟姉妹であるので、必要以上に傷つけてはならず、互いに搾取したり、傲慢になってはいけないということも主張しています。

この様なフランチェスコの世界観は「互いに愛し合いなさい」というイエスの教えを拡大解釈したものであると考えられます。「互いに」という言葉は普通人間同士だけに適応されますが、フランチェスコは「互いに」という言葉を被造物全般に適応させ、被造物は皆家族であるとしたのでしょう、故に人間が必要以上に被造物から搾取することは許されないし、人間の都合によって、ある物を不要・あるものを必要と決めつけることも許されないと考えたのでしょう。。

また、フランチェスコの世界観の特徴的な点は、「死」をも自然の一部として捉えていることです。フランチェスコは諦めによって「死」を受け入れるのではなく、「姉妹なる死」として親しみをもって受け入れました。「死」とは生命がある存在にとって常に付きまとう存在であり、「生」と「死」とは表裏一体の関係にあります。

「死」とは「生」を「生」たらしめるものであり、「死」なしの「生」はありえないのです。故にフランチェスコにとって「死」は何も不自然な現象ではありませんでした。「死」について語られている12~14 節はまさにフランチェスコが死ぬ間際に語った箇所であり、彼の「死」に対する態度が真実であることが分かるでしょう。

3.清貧とは

フランチェスコにとって清貧とはキリストの模倣でした。フランチェスコの最大の目標、理想はキリストや使徒たちの貧しさと伝道の生活の模倣でした。故に、フランチェスコは苦行、修行、禁欲といった自己修練的な目標の為に清貧の生活を送ったのではありませんでした。彼の清貧の生活の動機は非常に単純なものでした。彼はただ素朴かつ実践的にキリストの生活を模倣しようとしたのです。その実践形態が、無所有の生活として現れました。

フランチェスコは自分で仕事をし、報酬はその日の分だけの食糧を得ました。必要とあらば、食べるものの施しを受けました(=托鉢)。彼はそれ以上のこと、つまり叙任されて司祭になり秘跡を行うことを求めませんでした。また、それ以下のこと、つまりただキリストについて神学的に考えるだけで実践に移さないこともしようとしませんでした。フランチェスコは自分の地位を追い求めることも、全く現実からかけ離れた思索のみの生活も求めませんでした。彼の基本的な精神は貧困(必要最小限という意味)・単純・謙遜、そして実践でした。キリストに従って生きることを「現実」に根付いて実践しようと試みたのがフランチェスコです。

ちなみに、フランチェスコはキリストの貧困の生活を模倣しようとしていただけなので、彼自身は清貧という言葉を用いていた訳ではありません。清貧という言葉は後に修道会の兄弟たちが彼の生活を指してそう呼ぶようになった時に名付けられたものです。

フランチェスコの生き方=後に清貧と呼ばれた生活とはどの様なものであったのでしょうか。端的に述べると、清貧とは無所有になるということです。ここでの無所有とは物質的側面においてだけでなく、精神的側面においても無所有になるということです。つまり、フランチェスコの実践していた清貧の生活とは、精神的な無所有を実践したことによる結果であり、物質的側面の貧困の生活はフランチェスコの生き方から生まれた副産物に過ぎないと言えるでしょう。繰り返しますが、彼は苦行として貧しい生活を好んでいたのではなく、キリストの生き方を模倣することが目的でした。

4.まとめ

フランチェスコはイタリアのアッシジという自然が豊かなところで育ち、彼自身も自然に対しての関心が強かったので、自然に対する感覚は人一倍研ぎ澄まされていたと思います。彼は考え方・生き方というものは持っていても、思想や神学という体系立てられたものを作ろうとしませんでした。

彼は常にキリストを貧困(=必要最小限)・単純・謙遜・実践という基本的で素朴な精神によって模倣し、生活していました。また、彼は自然に対していつも素朴に接し、そこから素直に神への感謝が生まれたのだと思います。

今、フランチェスコの伝記を読んだことを振り返ると、今の日本のキリスト教会の「現実」(地位・権力・策略)とは真反対の真実で誠実な生き方を体現した人であったと思います。

フランチェスコの生き方は私の人生の憧れであり、理想でもあります。

フランチェスコはキリスト教世界において珍しく、人間と世界の関係を対等で、共存関係にあるものと捉えた人物です。普通、キリスト教の世界観では人間は世界の支配者として君臨しているので、支配関係として捉えられます。

フランチェスコの自然観は日本人にとって受け入れやすいものです。

人間は自然の中で生き、共に支え合っている。

多くを求めず、今ある物で足りるを知り、単純で素朴で謙遜に、愛を実践して生きる。

素晴らしい生き方です。

 

*参考 「兄弟なる太陽の歌―あるいは、創造物に対する賛歌」

1.いと高き、全能なる善き主、

賛美と、栄光と、誉れと、すべての祝福はあなたのもの。

2.いと高きお方、これらすべてのものはあなたにのみ帰せられる。

いかなる人間も、あなたを誉め歌うに値しない。

3.称えられよ、わが主、あなたのすべての被造物と共に

特に兄弟なる太陽によって。太陽は日々われらを照らす。

4.太陽は美しく、大いなる輝きで光を放つ。

いと高きお方、太陽はあなたの似姿を持つ。

5.称えられよ、わが主、姉妹なる月と星とによって。

あなたはそれらを尊く、美しく、明るく天に造られた。

6.称えられよ、わが主、兄弟なる風と空気と、雲と青空とあらゆる天候によって。

あなたはそれらを通してすべての被造物に生命を与えたもう。

7.称えられよ、わが主、姉妹なる水によって。

水はまことに有益で謙遜で、尊く清らか。

8.称えられよ、わが主、兄弟なる火によって。

あなたは火によって夜を照らされる。

火は美しく、喜ばしく、力があり、強い。

9.称えられよ、わが主、われらの姉妹、母なる大地によって。

大地はわれらを支え育み

色とりどりの花を咲かせ、

草を生い茂らせ、数々の実を結ばせる。

10.称えられよ、わが主、

あなたの愛で人を赦し

病気や困難を耐え忍ぶ人によって。

11.平和な心で耐え忍ぶ人は幸い。

いと高きお方、彼らはあなたから栄冠を受ける。

12.称えられよ、わが主、姉妹なる肉体の死によって。

生きているいかなる者も死から逃れることはできない。

13.死に値する罪の中で死ぬ人は災い。

あなたのいとも聖なる御旨の中に見出される人は幸い。

第二の死は決して彼らを害することはない。

14.わが主よ、私はあなたを誉め、称え、感謝し、

大いなる謙遜の心で、あなたに仕えよう。

*この賛歌は1225年の夏、フランチェスコの死の床で作られたものである。

この時、彼は以前から患っていた眼病が悪化し、ほとんど失明していた。

また、彼は様々な病気も併発しており、いつ死んでもおかしくない状態にあった。