新約聖書の正典化の歴史を田川健三『書物としての新約聖書』を基本にして紹介したいと思います。

特別な断りがない限り内容は『書物としての新約聖書』に準拠したものとなっています。

まず、『書物としての新約聖書』というタイトルがとても面白いです。

何故なら、聖書というものを神が書いた絶対不可侵なものとして捉えるのではなく、歴史の中で人間が書き、編纂した一つの書物として位置付けているからです。

新約聖書とは、後に新約聖書として組み込まれる個々の書物が書かれてから300年以上かかって、西暦2世紀後半から5世紀までの間に一つに纏められ、正統派のキリスト教会の正典とされたものです。

新約聖書という書物の中身は、1世紀(ものによっては2世紀前半)のキリスト教文書の主要なものを集めた文書集です。全体としての纏まりも統一性もありません。しかし、キリスト教会の伝統的な建前からすれば、これが聖書であり、正典なのです。

田川健三によれば、今日の形での新約聖書がキリスト教会の正典として確定したのは早くて4世紀末、おそらくやっと5世紀になってからだろうということです。

キリスト教会がそもそも新約聖書なる正典を作ろうという発想を持つようになったのが2世紀後半のことであり、その発想に基づいてどの文書を正典として採用しようか、という作業がなされました。つまり、出発点としてのキリスト教会は新約聖書を持っていませんでした。キリスト教なるものが誕生してから初めの150年近くは新約聖書を持っていなかったのです。

面白い事実が一つあります。キリスト教は本来ユダヤ教を批判的に克服したはずの宗教です。しかし、当時のキリスト教徒は自分たち独自の書物は持とうとしなかったけれども、ユダヤ教から継承した、今日旧約聖書と呼ばれている文書集をそのまま権威ある文書として保持し続けたという事実があります。まだ「新約」という発想がなかったキリスト教にとって唯一の文書集が、自分たちが克服したユダヤ教の正典だったのです。これは初期キリスト教が抱え込んだ最大の自己矛盾です。

一般的にキリスト教が「書物の宗教」、正典宗教と考えられている理由は、16世紀の宗教改革においてそのことが非常に強調されたことの影響が大きいでしょう。中世のキリスト教徒は今日ほどキリスト教が正典宗教であると考えていませんでした。

キリスト教成立の唯一絶対の根拠を「聖書のみ」として非常に強調したのはマルティン・ルターに始まるプロテスタント教会の自己意識です。キリスト教は「書物の宗教」という常識が定着したのは、実は宗教改革以降なのです。この常識が「真実」として信じられるためには、キリスト教は初めからそうだったのだということにしないとこの常識は通用しません。今まではそうでなありませんでしたが、これからはそういうことにしましょう、などということでは宗教的な権威にはなりません。宗教改革者たちが主張したのは、キリスト教は本来「書物の宗教」だったけれども、中世になってカトリック教会がそれを捻じ曲げたから、自分たちは元に戻しただけだ、ということです。

さて、こういう常識が「真実」として確立されているところに、今頃になって歴史の事実が正確に明らかにされて、「いや本当は、初めの200年ぐらいはキリスト教は正典宗教ではなかったのですよ」と指摘されると、伝統にしがみつこうとするキリスト教神学者たちは困ってしまうのです。

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