質問3つ目
まーやー:教会というのは町に行けばあちこちにあります。キリスト教じゃなきゃだめと思った人たちが、どういう教会なら安心して行けるでしょうか。全く分からないと全部がカルトのようにも思えるかもしれません。その辺りの区別の仕方を教えて頂きたいと思います。教会に行きたいと思った方への心構えというか、アドバイスはあるでしょうか。
Tama:そうですね。もしキリスト教を選ぶならですと、まずカルトかどうか、ということから話す必要がありますね。キリスト教をかたったカルトというものは多くあります。特に、韓国系・韓国発祥の団体にはキリスト教をかたっている、キリスト教らしきものが多いです。
まーやー5:先生、話を折るようですけれども、韓国系の教会と日本の教会との区別も初めての人には分からないと思いますその辺りが本当に難しいと思うんですけれども、何かその中でヒントになるようなアドバイスはありますか。
Tama:そうですね。見分け方ということですね。一番簡単なのは、カリスマ的な指導者がいるか、いないかということですね。いわば教祖なるものがいるとそれはカルトですね。
まーやー:それは牧師先生と名乗っている方が教祖なのですか。
Tama: うーん、そうではない場合もあります。むしろ、牧師と名乗っている人が、教祖なる人物をあがめている場合もあります。自分は神の代理人だとか、自分が真なる教えを語っている教祖なる人物をあがめている様な教会はまずカルトでしょう。
まーやー:カリスマ的な教祖がいる教会がカルトだということは分かるのですが、一見普通そうに見える教会においての見分け方などはあるのでしょうか。
Tama: その様な教会ですと、雰囲気などではカルトかどうかを区別することは難しいと思います。カルトの怖いところは、教会に来ている人の雰囲気だけでは分からないところにあります。カルトかそうでないかを区別する方法は、その教会が何を教えているかということで見極めるしかありません。つまり、何を教義として掲げているかということです。三位一体、イエス・キリストは神の子であるなどを教えているならば、それは正統派と言えますし、これらを教えていないところはカルトであると考えていいと思います。カルトの区別をするには、あらかじめ教会の基本的な教えを把握していた方が良いかもしれません。
それではプロテスタント教会ですけれども、極論を言ってしまうと教会自体が余りよろしくないので、全否定になってしまうのですが・・・。比較的あまり良くないところから挙げるとするならば、いわゆる福音派と呼ばれている教会ですね。
福音派はファンダメンタリズム・根本主義・原理主義を掲げています。彼らはどういうことを教えているかと言いますと、聖書に書かれていることが絶対なんだとしています。知らない人からすると、クリスチャンとして当たり前なんじゃないかと思うかもしれませんが、そうではないんですね。
例えば彼らの言い分というのは、我々が一般に受け入れている科学的な視点や知識というものを一切拒否しています。例えば進化論的なものを一切拒否して、極端な福音派の教会ですと、学校教育を受けさせないで、自分たちで聖書の中の世界観を教え込むところもあります。アメリカの南部ではそういうところもあるみたいですね。現在問題視されています。
もっと極端な団体、例えばアーミッシュは、自分たちだけのコミュニティを作って、昔ながらの生活で共同体を形成していくというところもあります。そこまでいかなくとも、都会で生活しながら自分たちの学校を作って教えているところもあります。日本でも普通教育を否定しているところはあります。また、同じように、やはり聖書の教えは絶対だ、あらゆる奇跡を事実だとして受け止めている、科学的なものは一切拒否しているという教会はあります。また、福音派、つまり原理主義は自分たちの教えこそ絶対的なものであると強固に主張していますので、それ以外の考えを一切認めません。そこは気を付けた方が良いと思います。
日本のプロテスタントは教えという意味では問題ないと思いますが、結局は教会内での人間関係による悩みというのは必ず生じます。組織のメンバーとして生きる限りは必ず起きる問題です。
そういうのを避けるには、私はカトリック教会が良いのではないかと思います。カトリック教会は聖職者主導で運営されていますし、信徒会というものはありますけれども入る義務はありません。信徒は礼拝に出席してさっと帰ることだけ済みますので、礼拝には預かりたい、けれども余計な人間的な煩わしさは嫌だという方にはそれが一番いいと思います。
プロテスタントでいうと無教会派も良いのではないかと思います。ただ無教会派にも色々な派閥とかもありますので、純粋に聖書を研究したいと思う方は構いませんが、集会はあるので人間関係が苦手な人は苦手かもしれません。それ以外のプロテスタント教会というのは異端的な教えというのはないかもしれませんが、組織における人間関係の難しさというものは常に付き物です。