① 明治時代の社会(福祉)事業家にはやたらクリスチャンが多いことが分かる。
- 石井十次(岡山孤児院)、片山潜(キングスレー館)、留岡幸助(家庭学校、感化事業)、賀川豊彦(セツルメント、『死線を超えて』)、山室軍平(日本救世軍、廃娼運動)などがいる。
② 実は、明治から大正にかけての日本におけるキリスト教の普及、教会の設立にはキリスト教社会(福祉)事業が大きな役割を果たしている。
1.教会側の事情
① 普通は、宣教師や牧師などが説教してキリスト教を日本に広め、定着させたと考えられているが、実はそうではない。日本のプロテスタントの歴史において、最初期は牧師などによる宗教活動はほとんど無力であった。徒労に終わった。
② 1612年の徳川家康による切支丹「禁教令」から、江戸時代は一貫してキリスト教の禁止・迫害政策が続けられてきたが、1873年(明治6年)2月に、キリスト教禁制の高札撤廃が命じられることで、表向きキリスト教への迫害は終わったように見えた。しかし、実際上はキリスト教への弾圧、攻撃は解消しなかった。あくまで、時の政府が外交政策上キリスト教を黙認 しただけであり、公認されたわけではなかった。1873年に切支丹禁令の高札が撤去されたとはいえ、依然として当時の日本においてはキリスト教に対する忌避感、嫌悪感は強く、多くの宣教師が迫害にあった。
③ 社会的にもキリスト教は未だ邪教というイメージが定着しており、キリスト教禁制の高札が撤廃されても何らかわるところはなかった。日本社会に受け入れられることはなかった。
④ A つまり、教会側としてはキリスト教に対する社会の悪いイメージを払拭したい、変えたいという思惑があった。その邪教に対するイメージが変わらない限り、宣教もままならないと考えてたからである。また、そのためにも、政府に名目的にキリスト教が受け入れられるだけではなく、実際的にも受け入れてもらう必要があると考えていた。