以下はサイモン・シン『フェルマーの最終定理』P, 56-P, 64の要約です。
数学の証明は、私たちが口にするいわゆる「証明」や物理学者や化学者の考える証明よりもはるかに強力かつ厳密である。科学的証明とは数学的証明とは、微妙であるが重大な点で異なっている。
数学の定理は論理的なプロセスの上に成り立っており、一度証明された定理は永遠に真である。数学における証明は絶対である。
科学は、ある自然現象を説明するために仮説が立てられ、その現象を観察した結果が過程と合っていれば、その仮説にとってプラスの証拠になる。
しかし、科学理論を数学理論と同じレベルで完全に証明することはできない。手に入れる限りの証拠に基づいて、「この理論が正しい可能性は極めて高い」と言えるだけなのだ。
いわゆる科学的証明は観察と知覚を拠り所にしているが、そのどちらも誤りを免れず、そこから得られるものは真実の近似でしかないのである。科学者は問題を実験によって解こうとする。
一方、数学的証明は完全無欠であり、疑う余地がない。数学者は論理的な議論を展開することで問題に答えようとする。論理的な議論からは疑問の余地のない結論が得られ、その結論は永遠に揺るがない。
故にピュタゴラスの定理の証明は文明史的に見ても最大級の快挙といえるだろう。それは二重の意味で重要だった。第一に証明という概念が生み出されたこと。証明された数学的結論は、論理を一歩一歩積み上げることで得られるという意味において、他のいかなる真理よりも真である。第二に抽象的な数学の方法を具体的なものと結び付けたこと。ピュタゴラスは数学的真理が科学の世界にも応用できることを示し、科学に論理的な基礎を与えたのである。数学は厳密な出発点を科学に与えてくれる。科学者はこの堅固な基礎の上に、厳密にはなりえない測定と、完璧ではありえない観察とを付け加えてゆくのである。