3.キリスト教社会福祉事業の側面

①    特に日曜学校に注目して見ていきたい。

②    日曜学校は1780年に、イギリスのロバート・レイクス(1735-1811)がイギリスのグロスター市で貧しく悲惨な生活を送っていた子供たちに、読み書きやカテキズムを教えたのが始まりであった。レイクスは自ら発行する新聞「グロスター・ジャーナル」に日曜学校の記事を載せたので、広く世間に知られるようになった。 当時の日曜学校は慈善学校と同義であり、日曜日に6時間以上も開かれ、宗教教育はもちろん、一般初等教育が行なわれていた。

③    日本において日曜学校がもたらしたものは、教育を受ける機会を与えられていなかった子供たちに教育を与えたことである。また、日曜学校は子どもへの教育だけではなく、地域社会にも介入していき、社会構造の中で抑圧されていた人々や、女性、老人、孤児などにも支援し、希望を与えた。

④    上流階級の人間に対しても、子供への徳育、禁酒禁煙等の良習慣、欧米文化の教育を行い、その求めに応えていった。また、日曜学校は、その活動の初期から女性信徒たちの力強い働きに支えられていた。彼女らは「バイブルウーマン」と呼ばれ、幼児、子供、女性の教育を積極的に担っていった。

⑤    日曜学校の最も大きな社会的な貢献といえば、日本において女子教育の面で開拓的な役割を担ったことである。特に1905年から1922年にかけて女子高等教育は非常に充実していく。キリスト教主義の学校は、優れた女子教育者を輩出していった。今も残っているキリスト教主義学校が、この時代に創立されたことから明らかである。例えば、青学、同志社、関西学院大学、フェリス女学院大学、福岡女学院大学など。

⑥    また、初期の宣教師の宣教活動について注目すべきことがある。それは、宣教が日曜学校を中心にして行なわれたということである。日本の多くの教会は、教会が立てられたから日曜学校が始められたのではなく、日曜学校を母体として教会が設立されていったのである。また、社会福祉事業によって建てられた施設にいる人々が、信仰を持ち、礼拝する場所を求めだした。施設の中、また併設して礼拝できる場所を作った。それが後の教会になった。

⑦    政府からも日曜学校や社会福祉事業は好意的に受け取られ、世間にも広く認知されつつあった。また、社会的にもキリスト教の諸事業は成功し、貢献していった。そして、何よりも社会に人権意識、民主的な考え、抑圧されている人々への配慮と解放をもたらした。

⑧    C このような日曜学校を始めとする社会福祉事業が、社会に認知され、キリスト教に対するイメージが変わっていった。社会福祉事業を通して、キリスト教のイメージが変わっていった。