4.結果

①    キリスト教側からすれば、社会福祉事業のおかげで、教会のイメージが変わった。

②    政府は、キリスト教の社会福祉事業の実績の着目し、社会道徳を整えるのに、キリスト教の徳育の有効性を利用しようとした。

③    ここに教会と政府の利害関係が一致する。

④    そして政府がキリスト教を事実上公認する出来事が起こる。それが三教合同である。

⑤    三教会同は床次竹次郎内務次官の呼び掛けによる、社会風紀改善の為の取り組みについて話し合う、神道・仏教・キリスト教の三宗教合同による会議である。これは当時、多くの誤解を招いた。神道・仏教・キリスト教を混同させる政策であると言われたり、宗教を党略のために利用するのだろうという疑いが持たれた。

⑥    三教会同の目的は、以前から叫ばれていた第二維新なる精神の維新の必要性が、日露戦争以後の社会混乱の中で強まり、国民道徳をどうにかして改革していく必要ことであった。そして、社会秩序や国民道徳の回復、強化の為に宗教の一致した協力を政府が求めた。床次竹次郎が「宗教をして益々権威あらしめ、一般に之(これ)を重んずる気風を興」(1) すためだと語っている通りである。社会道徳の回復には、まず人々の内面を練磨しなければならない。それには宗教の力が必要不可欠であった。

⑦    床次は「文明開化は独り物質的方面の発達のみを以を満足すべきにあらず、精神方面の発達亦(また)之(これ)に伴うべき…(中略)精神上の慰安を与えんとするには必ずや宗教に待つ所なきを得ざるに至るべし」 (2)と主張している。

⑧    床次の考え方は、国家は法律によって秩序を形作り、教育によって知識と道徳を国民に教える。そして宗教は、国民全体の国民道徳を高め、強化し、国民の意識を国体に従わらせることを期待していた。つまり、床次が宗教に求めていたのは、「之を誘導して同じく尊王愛国の精神に帰趣せしむる所以たるべく」(3) であった。つまり、彼の求めるところは、宗教が日本社会において、日本の為に貢献してほしいということである。それが今回の三教会同を招集した目的であった。

⑨    三教会同は、1912年2月25-26日に華族会館において催された。教会神道から13派、仏教から51宗派、キリスト教からは7教派からの出席であった。会は午後2時から原内務大臣の演説をもって開始された。懇談会は午後5時までに終え、各宗教の代表者たちは解散の後、それぞれの話し合いをした。翌26日、各宗教の代表者たちは改めて集まり、各宗教ごとの提案を持ち寄った。その後各宗派合意の後、一つの決議が出された。「一、吾等は各々其教義を発揮し、皇運を扶翼し、益々国民道徳の信仰を図らん事を期す。二、吾等は当局者が宗教を尊重し、政治宗教及び教育の間を融和し、国運の伸張に資せられん事を望む」 (4)。

⑩    三教会同が開かれたことによる最大の意義は、キリスト教が政府に公認されたという点である。これは大きな点である。明治始まって以来、初めてキリスト教が他の公認宗教と同じテーブルに並んだのである。これは事実上、政府によって公認宗教として認められた時である。言い換えるならば、キリスト教が邪教でも、危険な活動をする宗教でもなく、正しいことを教え、社会に貢献する宗教であると認められたということである。「もはや、日本のキリスト教は、加藤が恐れるほど危険なものではなかった」(5) と鈴木範久が評する通りである。

⑪    元田作之進は国家と宗教の関係において、国家は諸々の制度を整えることで国民の生活を支えるが、精神状態までも律することはできないと断定している。また、国交と宗教においては、人間が独りで生きていけないように、国家も独りきりでいることはできないとしている。日本は国際社会と渡り合うために、国際道徳を身に着けるべきだと主張している

⑫    また、三教会同は次のような意味においてもキリスト教に意味があった。床次竹次郎が宗教家たちに期待したことは、「此の実社会に向かって、御活動を願います」(6)ということであった。宗教家は、自分たちのテリトリーに引きこもっていないで、外に出て、社会と関わりことが求められるということであった。ロイド・ジョージも、教会の役割は、社会に向かって救いの光を呼びかけることであると語っている。それは、人々の希望を与えることであり、魂の問題と取り組むことである。そして、それには社会に向かって出ていき、啓発していかなければならない。教会の役割は「国民の道念を指導し支配し兼ねて其思想を啓発する」(7)ことであり、「国民の覚醒を促して此等病弊の存在を知らしめ、之を矯正すべき責任あることを覚らしむるにあり…(中略)悲惨な状態に在る者を探査して之を世上に覚知せしむるに在るのみ」(8)と語っている通りである。

⑬    国家には限界がある。国家は法律や体制を決め、変えていくことは出来るが、人々の内面を変えることは出来ない。法律で人を変えることはできない。そのためにも床次竹次郎が主張した信念を作るには道徳を整える必要があった。この道徳を整える役割の一つに宗教の徳育が期待されたのである。


(1) 鈴木範久監修『近代日本キリスト教名著選集31』「三教者会同と基督教」日本図書センター、2004年、P, 46

(2) 前掲書、P, 53-55

(3) 前掲書、P, 52

(4) 前掲書、P, 16

(5) 鈴木範久監修『近代日本キリスト教名著選集 別冊 解説・解題・年表・エッセイ』日本図書館センター、2004年、P, 13

(6) 前田連山編『床次竹次郎伝』床次竹二郎伝記刊行会、昭和14年、P, 272-273

(7) 鈴木範久監修『近代日本キリスト教名著選集31』「三教者会同と基督教」日本図書センター、2004年、P, 62

(8) 前掲書、P, 64-67