5.教会と政府の蜜月

①    その証拠が。1920年にアジア初の開催となった第8回世界日曜学校大会が東京で開かれたことである。

②    この大会に外国人代議員1212名、日本人代議員786名、準代議員592名の合計2590名が集まった。「この大会は外国から多くの参加者を迎えた国際会議であり、当時の政府、財界の積極的な援助を受けた。また、宮内省からも大会のための準備事業補助を受けている」(1) 。関係者の大部分は、キリスト教が政府に認められたと喜んでいた。しかし、この大会は純粋な日曜学校大会ではなかった。実は、日本日曜学校協会は、この大会を利用して財界や宮内省と関係を密にし、経済的な恩恵を受けようとした。

第8回世界日曜学校大会

開会式において内閣総理大臣原敬(はらたかし)挨拶

日曜学校委員会側からの火災に関する感謝状

総理大臣 原敬閣下、外務大臣 内田康哉閣下、宮内大臣 中村雄次郎閣下、内務大臣 床次竹次郎閣下・・・などに宛てられている。

6.蜜月の終わり

①    1930年代に入ると、政府は1931年、宗教諸団体を特別高等警察署の管理下へ置き、1935年に文部省思想局を設置する。また、政府は訓令12号の解釈によって、宗教教育を禁止していく。そして、1938年に宗教団体法が成立した。この様な情勢の変化によって教会と政府の蜜月は終わり、反対に激しい対立が生じるようになったのである。これが現在における日本のキリスト教会の反政府的な姿勢の火種である。


(1) 今橋朗・奥田和弘監修『キリスト教教育事典』日本キリスト教団出版局、2010年、P, 315