今の私にとってみれば、ほとんどのクリスチャンは理性的な思考の足らない人か、偏った思想の持主にしか見えない。特に、聖職者と呼ばれる人々などは偽善者だらけだと感じてしまう。
しかし、最近、あるクリスチャンを思い出す。
その人は、クリスチャンではあったが、真に愛の行動に情熱を燃やしていた人であった。しかも、ずっとである。短い炎で燃え尽きるのではなく、愛に生きるのがこの人の人生なんだなと感じる。多くの牧師たちは口だけである。有り難い言葉を奨めておきながら、自分は愛を実践しない。偽善者である。しかし、その人は違った。口に出すよりも、愛を実践することの方が先だった。その人を見て、私は「この人の真似は出来ないな」と感じた。自分には真似できない生き方を素で実践している人に驚いた。私が出会った多くのクリスチャンの中で、もっとも聖人に近い人であろう。
重箱の隅を楊枝でほじくるような牧師もいる。本質よりも周辺的な事柄にやたら拘る牧師もいる。しかし、その人は非常に寛容的で、本質を見極め、人の内面というものをよく理解している人だった。かつ情熱に溢れていた。
誰かの危機には自分を顧みず飛び出し、災害が起こればいの一番に駆けつける。
その様な人も本当に実在するのだ。
その人がクリスチャンだからというよりもその様な人性をもった人なのだろう。