人間は関係の生き物であると言われている。

人間は誰かと繋がることで大切なものを共有し合い、お互いに支え合えることができる。人間は誰かと関係することで人間らしさを知り、また発揮することができる。誰もいないところでは人間らしさを発揮できない。人間の心というものは、人間同士の連帯、社会性を発展させるために生まれたものであると聞いたことがある。

誰かと繋がったり、関係することは本当に大切なことである。人間は誰とも関わらない世界では生きていけない。

しかし、昨今の世の中は余りにも関係性が氾濫している。SNSの急速な発展によって、私たちは一昔前では考えられないほどの人々と繋がることが可能になってきた。世界中の人と繋がり、自分の能力を超えた交友関係を持つようになっている。1万人、2万人の人と「友達」となることもできる世の中になった。

しかし、人間の脳の能力では親密な人間関係はせいぜい120人を維持することが限界だと言われている。それ以外の人間関係は「その他大勢」に過ぎなくなる。原初的なムラ、共同体の規模がおよそ100人程度だったことからもこの説は説得力がある。この説が正しいとするならば、明らかに昨今の「友達」は人間本来の持っている交友関係の限界を超えている。1万人の人と本当に友達になれるとは思えない。多くの交友関係もっている人はそれ自体が自分をアピールするためのステータスに過ぎない。すると、実体的な交友関係は無いということと同じである。

また、SNSの熱中してしまう余り、その副作用に苦しんでいる人も大勢いる。四六時中、信じられない数の「友達」のやったことに反応しなければならない。実体のない交友関係の維持に神経を擦り減らす人も少なくない。SNSで人との繋がりが増えるということは素晴らしいが、人間の限界を超えた人付き合いは己の精神を蝕むことになる。だから最近はデジタルデトックスという言葉も生まれてきている。スマホから離れることでSNSからも離れて精神をリラックスさせるという行動らしい。こんな反動が生まれるぐらい、人と関係し過ぎることが自分を蝕む時代になってきたのである。

人間は誰かと関係することで人間らしく生きることができる。しかし、人間は誰かと関係し過ぎることで、自分らしさを失っていく。人と繋がることが自分の人生の中心になってしまうと、誰かと繋がっていないと生きている実感が湧かなくなってしまう。それでは本末転倒である。自分は自分であり、誰かと関係することで自分自身を確認することはあるが、誰かによって自分が作られている訳ではない。誰かと繋がっていなくても、自分は自分なのである。誰かと繋がっていることで自分が生きていると実感していることは、偽りの感覚である。誰とも繋がっていなくても、あなたはあなたなのである。自分を見失ってはいけない。能力の限界を超えた人間関係の網目に囚われてしまって、自分自身を見失ってはいけない。

今の時代は、誰かと繋がっていないことは恐怖であるという時代だそうだ。学校では昔では考えられない陰湿ないじめが頻発している。その多くの原因がSNSでのトラブルであるそうだ。学校でいじめの対象となるのは誰とも繋がっていない生徒である。故に学生は誰かと繋がるということは身を守る手段であり、安全を確保するこういなのである。誰とも繋がっていない状態は、不安であり恐怖である。何故なら、自分の身に危害が加えられる危険な状態だからである。今の若者は、人との繋がりによって喜びを見出すポジティブな思いよりも、とりあえず誰かと繋がっているという状態を作ることで安心と安全を買っているネガティブな思いが遥かに強い。

このような若者の心理が分かると、何故彼らがこうも必死になってSNSで人間関係を作り続けているのかが理解できる。彼らにとってSNSで大量に人間関係を作ることによって自分の居場所を作っているのである。それは自分の身を守るためであり、安心するためである。しかし、その行為がいつしか自分の存在の中心になり、誰かと繋がっていることでしか自分を実感できなくなってしまうという矛盾に陥ってしまう。

しかし、皮肉にも自分を実感できるというこの人間関係は実体の伴っていない空虚なものである。「友達」と表面的には言ってはいるが、友情が全く伴わない偽りの人間関係である。つまり、例え3000人の人と「友達」であったとしても、その人間関係自体が偽りなのである。そしてその中身の全くない人間関係にしがみついてしか実感できない自分とは本当に意味あるものなのだろか。無意味なものを基盤として無意味なものを築いてもそれは虚無である。その様な世界で生きている限り、自分という存在を意味づけすることは出来ない。

関係性が氾濫している世の中で見つめ直されるべきことは孤独である。誰かとの関係の中でしか生きられない自分から脱却するには、孤独の中でしか見えない不動の自分を見出さなければならない。如何なる関係性がない状態でも絶対的に存在する自己を発見した時に、不動で確固たる自分という存在を現実に実感できるのである。揺るぎない自分を知るには、孤独に飛び込まなければならない。このような内的な心の作業は非常に重要である。

しかし、孤独は内的な心の作業と共に、人間関係の断捨離も必要である。人間関係への執着を捨て、自分にとって不必要な人間関係は破棄し、接近しすぎている関係には一定の距離を置くことが必要である。そうすると余計な人間関係から解放され、自分自身を見出し、また大切なものを発見できるだろう。