今を生きるためには自己中心力が必要です。
現代に生きる人々の多くは、他者に気を使って生きています。人間関係を気にし、他人がどんな気持ちか慮り、自分の発言や行動に常に注意します。それだけなら良いのですが、自分の行動パターンやスケジュール、はたまた思想までも他人に合わせて生活していかなければならない世の中です。
今の世の中ではこの様な他人に合わせるスキルをあたかもコミュニケーション能力と理解されています。他人とコミュニケーションを取るためにはすべからく他者と合わせて生活しなければならないという風潮もあります。大げさなと言われる方もいるかもしれません。しかし、あなたは何故SNSを始めたのですか?あなたの趣味は本当に自分の好みから始めたものですか?今の交友関係は?仕事は?趣味や信仰のグループで考え方や思想は?
現代を生きていると他者に合わせないで生きることはあたかも悪いことであると考えられています。多くの人が何々をやっているのに自分はやっていない。なんか気まずい。それでは自分もやってみるか。または、多くの人はこの様に考えている。自分の考えはちょっと違う。しかし、それは間違えなのかな?などの様に私たちは他者に影響され、引っ張られて生きています。表面的にはその方は楽な生き方です。しかし、深いところで私たちは納得せず、ストレスを溜め、矛盾を感じています。心のどこかでそう感じています。
何故なら、その様な生き方は自分という存在を見失った生き方だからです。他者に合わせて生きるということは他者に支配されて生きているということと同じです。そして、自分が誰か見失っている状態でもあります。自分自身が誰であるか、アイデンティティを確立せずに生きることは実に楽な生き方です。他者の影響という名の風に揺られてフラフラする埃と同じように、生きることに力を使わなくてもなんとなく漂うことができます。しかし、そうした生き方をして、生きる充実感を味わえる人はいません。何となく流されて生きている人も心の底では満足していません。何故なら、そこには自分らしさはなく、自分という存在を喪失しているからです。自分でないのに自分の人生に満足が行くはずがありません。
逆に自分らしく生きるには力がいります。地面に根を張って、風に吹かれても引きはがされない抵抗力が必要です。しかし、そこには自分らしさがあり、生きることへの充実感があります。
私は以前、キリスト教の世界にいた時は自分を無にして他者の為に粉骨砕身して生きていました。自分という存在は無く、自分の全てを他者に捧げて生きていました。しかし、今振り返ってみるとそこには何の達成感も、価値もありませんでした。自分らしさを捨てて誰かの為に生きることは一見美しい様に見えますが、内実は奴隷でありロボットと変わりません。滅私奉公の果てには何もありません、無です。それは必死に生きていながら、実のところ生きている意味を見失っていることと同じです。
だからこそ、自分らしさを見つけるためには自己中心力が必要なのです。自分という存在を中心において、物事を判断する必要があります。他者がどうだからという視点ではなく、自分にとってそれは価値あることなのかという視点が大切です。自分の人生なのだから、自分で生きましょう。他者に支配されて生きることに価値はありません。また他者の影響を恐れて自分らしくいられないということほど惨めなものもないでしょう。交友関係も、趣味も、仕事も、思想も自分を中心に判断し、選び、決めていきましょう。他人の為ではなく、自分の為に生きましょう。そこにこそ、充実感、満足感、達成感があります。