人生には必ず苦難・艱難がある。誰もそれが訪れることを望まない。なるべくなら避けないものである。苦難・艱難を喜ぶ人は誰もいない。

しかし、艱難が訪れてしまったならどうするか。

人生にはすべて意味がある。そう考える哲学がある。そうであるならば、艱難ですら人生の中で何らかの意味がある、あるいは意味が見出せる出来事であるということになる。

苦難・艱難は人生の鍛錬であり修行である。そう捉えられる。もちろん、艱難・苦難が鍛錬を超えるほど無慈悲で苦痛に満ちたものであるときは、逃げた方が良い場合がある。自分が砕かれてしまっては意味がない。逃げることは時に悪くない選択肢である。

大事なのは、その出来事に意味を見出すことである。良い出来事にしても、悪い出来事にしても、無意味であったと思うよりも、そこに何らかの意味があると考える方が人生をより良く生きられる。

艱難に出会い、非常に苦しい時期を過ごしたとしても、そこに意味が見いだせれば、後々の人生を後押しするものになる。例えば、忍耐や根気を強めるための鍛錬だったのだと考えるように。

人生で最も恐れるべきことは、意味を見いだせないこと、無意味さである。人間は何かに意味を見いだせないと、その出来事は無価値でしかない。

苦難・艱難は受け入れがたいものであり、苦痛である。しかし、そこに意味を見いだせれば、その辛さは決して無価値なものではなくなる。