希望というものは目に見えません。そして目に見えないからこそ多くの人が希望に向かって行くことを諦めてしまいます。「そんなことは現実に起こりっこない」と。
私たちは基本的に目に見えるものを信用します。目で見えて、自分たちがきちんと確認できるものを信頼します。何故なら、そこにあるのどうかも分からない不確定なものにすがることは出来ないからです。もし、そんなものに頼ってしまって身を滅ぼしてしまったらどうしようもありません。
ですから私たちは土台がしっかりして、きちんと確認できるものの上に立つのです。それは正しい生き方です。しかし、そこには希望はありません。何故なら、希望というものは常に目に見えず、掴みどころのないものだからです。自分の足でしっかりと踏みしめる土台には希望はありません。そして、土台ばかり見ていると、いつまでも視線は足元を見ることになり、希望の方に目を向けることは出来ません。
目に見えて、手で触れて、確実につかみ取れるものがあるとするならば、もはやそれは希望とは言いません。それは現実です。なぜならば、既に目に見えているものを希望とする人はいないからです。今ある確実で信頼できる事柄の中には希望はありません。今あるものの中には未来へと向かう力はないからです。
希望とは常に私たちの手にはなく、目に見えないからこそ、私たちに力を与えるのです。今ないものこそ、私たちを奮い立たせ、未来へと向かわせる大きな原動力になるのです。それこそが希望です。だから私たちは未だ見えないものを希望とするのです。そして、その希望こそが未来へと突き進む活力と苦難を耐える忍耐を与えるのです。