皆さんは、自分に心を開いていますか?
心を開くのは他人だけではありません。むしろ、一番最初に心を開くべきなのは自分自身に対してです。
自分に心を開くとは、自分を信頼し、自分に対して自信を持ち、自分を確信することです。
多くの人はそれができていません。そして、特に日本人はそれができていないことが多い様です。日本人は自尊心がとても低い民族と言われています。
よく言えば謙虚で控えめですが、客観的言えば、自分に自信がないことを現れです。しかし、それは自分の持っている可能性、自分の潜在能力に目をつぶり、自ら潰しているようなものです。
実のところ、自分に心を開くことよりも、他人に心を開く方が簡単で容易いことです。
何故なら、他人に心を開く、相手を信頼するということは責任のない行為だらです。例え相手に裏切られても、裏切った相手が悪いのだと思えます。裏切った相手が悪いのであり、相手の責任として擦り付けられます。ある意味、他人を信頼するとは、相手任せの行為であるのです。何かあれば一定のリスクは自分も引き受けるが、相手のあることだから、自分一人が悪いということにはなりません。関係性のある所には常にリスクは双方のあるのです。
しかし、自分に心を開くということは、自分が全責任を負うという重い行為です。自分自身を裏切ることは出来ません。自分を信頼するということは、自分の全てを自分の可能性に賭けるということです。責任は自分が全て負うことになります。その責任からは決して逃れられません。また、自分に心を開くとは、自分自身と向かい合うということです。決して目を逸らすことは出来ません。
ですから、自分に心を開くということには覚悟がいることです。しかし、一度覚悟をして、決断すれば、自分に秘められている途方もない可能性と潜在能力を引き出すことができます。
自分に心を開いていないと、自分にはこの程度の力しかない、自分はこの分野には向いていないといった自分自身への縛りや制限を掛けてしまっています。それはある意味で、自分を信頼できていないからです。自分を無限という可能性へと放り出すことを恐れているのです。「自分はこの程度しかできないから」と言い聞かせることで、自分をその程度の領域において安心と安全を確保したいのです。
しかしそれは自分自身の可能性から逃れていることと同じです。自分が思っている「この程度」から一歩踏み出すことは大きなリスクを背負うように感じます。その恐怖心が自分に心を開けない鍵のようなものです。
故に、自分に心を開き、自分を信じるということは大きな覚悟のいることです。自分の内に広がる無限の可能性と向き合う勇気が必要です。そして、「この程度」の領域から踏み出す一歩が必要です。
しかし、それらのリスクを覚悟して一歩を踏み出し、自分に心を開くとき、自分で自分を抑えていた時には信じられないようなエネルギーと可能性を手に入れることができます。