謙虚な人と頑迷な人、どちらが優れた人か。
謙虚な心とは自分の考えを絶対のものと思わず、新しい見方や情報に対して素直で柔軟に向き合う姿勢である。一言で表すならば謙虚な心とはオープンマインドのことである。
オープンマインド、心を開くこと。それは自分という芯を持ちながらもあらゆる事柄に心を開いていくことである。
普通の人は自分にとって都合の悪い情報を耳にするとき、それをシャットアウトしてしまう。自分では情報を受け取っているつもりでも、その情報の本当の意味を汲み取れてないことが多い。それが普通のことである。
だからこそ、オープンマインドとは通常より一段高い心の状態であると言える。オープンマインドを持つには、自分が受け取る情報は物事の一断片に過ぎないということを知るべきである。物事はそれへの見方や切り取り方によって様々な情報へと変化する。だからこそ、通常自分がそう考えない情報も、まずは一端受け取ってみるという心の姿勢が大事である。
テニス選手であるノバク・ジョコビッチはオープンマインドのことを留保であると言っているが、正にその通りである。心を開いて、どんな情報もまずは受け取ってみる、そして留保してみる。あくまで留保であり、その情報を「受け入れろ」とか「信じろ」という訳ではない。あくまで自分の中に一時的に据え置くだけである。そして、その過程を通して、その情報を色々な角度から見て、精査し、自分が受け入れるかどうかをじっくり考える。それがオープンマインドである。
情報をはなから受け付けないのではなく、まずは留保してじっくり360°から眺めまわしてみる。それがオープンマインドであり、謙虚な心の大事さである。オープンマインドを持つには、自分という芯をもちながらも素直さと柔軟さが必要不可欠である。
逆に、頑迷な心は自分を考えや見方を絶対のものと思いこみ、それに固執することで、柔軟さを失っている状態のことである。それはクローズマインドである。
私たちは普通はクローズマインドの状態である。クローズマインドとは自分の考えに合わないもの、自分にとって都合の悪い情報を受け付けない、耳を傾けないことである。なぜなら、その方が気楽だからである。しかし、クローズマインドの状態でいると残念ながら、新しい発想やアイデア、考え方、価値に気づくことができない。なぜなら、自分の見方という唯一の判断基準に縋っているから、新しい情報に触れてもそれを受け取らないからである。一つの物事から一つの情報しか受け取れない。しかし、本当は一つの物事には様々な情報が含まれている。自分が拒否して受け取らない情報の中には自分にとっての新しい発見や可能性をもたらすものも含まれているかもしれないのに。だから、クローズマインドであることは自分の成長を妨げる残念な状態であると言える。
成長を目指すならば、オープンマインドを持つことを心がけたい。