私たちは大抵、自分というものを理解していない。
意外なことに、人生というものは自分を理解できなくても生きることは出来る。しかし、それはただ漫然と生きていることに近い。
いや、漫然という言葉は適当ではないかもしれない。中には自分の人生を一生懸命に、必死に生き抜いている人もいる。その姿勢は素晴らしいものだ。
しかし、自分が何者なのか、どういう特性を持っていて、何が相応しいのか、自分という生き物を知らずに必死に生きるということは空回りが多く、無駄も多い生き方であるといえるだろう。
自分がどんな人間で、どんな性格の持ち主なのか。何に喜びを見出し、何を嫌うのか。自分が最も興味のある分野は何で、何に興味がないのか。何が得意で、何が弱点なのか。
そして、大切なのは自分にとっての欲望の種類、強さを知ることである。自分の欲望を把握できれば、何が自分にとって害を与えるものなのかを見極めることが出来る。何故なら、欲望は生きるうえでの原動力になるが、欲望に支配されるとかえって自分を傷つけることになるからである。
自分にとって害あるものは、自分に与えない方が良い。当然である。
また、自分自身を知るということは、他人や世の中に惑わされないことに繋がる。
他の人にとってぴったりと合うもの、世の中にとって流行で便利なものが自分にとって相応しいものであるとは限らないからである。自分自身を知らなければ、自分に合わないものを自分で選んでしまう可能性もある。それは残念であるし、無駄な労力である。
自分の特性を知っていれば、自分にとって最もふさわしい道を自分で歩むことが出来る。最大限の力を発揮することが出来る。少なくとも、自分にとって相応しい生き方を知ることが出来る。自分にとって相応しくない生き方、働き方、生活などの中で、どれだけ自分本来の力が発揮できるだろうか?自分らしく、自分の力が最大限発揮できる生き方をするには、自分自身を知ることが不可欠である。
どれだけ頑張っても自分らしさや、自分の力を発揮し切れない人は、自分の今歩んでいる生き方が自分に合っていないのかもしれない。
そして、自分を知るうえで最も大切なのは、自分は何によって満足するのかということである。満足するということは人生で最大の喜びである。小さなことでもそこに満足を見出すことが出来ればそれは充実した生き方と言える。大きなことに満足を見出す人は、そこに向かっていくまでの困難さの中に喜びを見出すだろう。
しかし、自分が何に満足するのかを知らなければ、満足を求めて、一生をさまよう。
自分の欲望を知り、欲望を適切にコントロールすることが出来れば、それは心身を大切にすることになる。欲望と満足は繋がっているが、深すぎる欲望を持てば、決して満足することのできない泥沼にはまり、自分を傷つける害になる。