偉さとは何なのでしょうか?
偉い人は人の上に立ち、自分より下の人間に権力を振るう。それは支配といいます。
人の上に立つから偉いのか、偉いから人の上に立つのか。
権力を振るうから偉いのか、偉いから権力を振るうのか。
そもそも偉さとは何なのでしょうか?
偉さとは目に見えないものであり、人間の関係性の中でのみ成立する概念です。
ある人を偉いと認める人がいるから、偉い人というのは存在することができます。
つまり、偉いと認める人(思う人)が前提としていることによってのみ偉い人(偉いと認められる人)が成立するのです。
つまり、偉さとは本来、偉い人自身がコントロールできるものではありません。しかし、偉い人は自分の偉さをより強固にし、より高めるために、人々に偉さを誇示します。それが権力を振るうことであったり、支配したりするという形となって現れます。
偉さとは本来自分でコントロールできないものであるからこそ、自分が偉いと思われるために、力を誇示します
裏を返せば、その誇示行為は何とかして自分が他者に認められたいという悲痛な試みに過ぎません。偉さを誇示する人ほど、人間関係の中心が他者にあるのです。なぜなら、誰かが偉いと認めてくれないと、偉い自分は存在できない弱い立場あるからです。
しかし、それは本当の偉さではありません。
本当の偉さとは、他者に認められるか否かに関わらず、自己鍛錬・修練を続けることです。その鍛錬・修練が本物であれば、自然に他者に認められるようになっていきます。おのずから、他者に「あの人は偉いなあ」と認められるようになります。
このあり方の人間関係の中心は自分にあります。というより関係性に、もはや依存していないと言ってよいでしょう。他者に関係なく、重要なのは自分自身の努力や鍛錬次第だからです。他者からから解放された生き方と言えるでしょう。他者にどう思われようと、自分で自分を存在させられるからです。他者に頼らず、依存しないで自分という存在を確立させられます。
そして、本当の偉さとは人の上に立つことや下につくことに固執しません。むしろ、人の上に立っても、常に謙って他者より自分を低く見せます。もはや空しい力の誇示をする必要がないからです。