人生において、二つのことが不要である。

豊か過ぎることと、貧し過ぎることである。

暮らしに必要なだけの衣食住と経済力があれば十分である。

過不足の無い生活こそが最も穏やかな生き方である。

有り余る豊かさ、過剰な豊かさ、身の丈に合わない豊かさは人生の弊害となる。

過剰な豊かさは傲慢さを生み、奪われる恐怖を生み出す。

身に余る豊かさから生まれる数々の弊害は、その過剰な富を持っている限り逃れられない。

弊害は富や豊かさへの誤った向き合い方から生まれてくる。

自分の所有している富がまるで自分自身のように錯覚してしまったならば、自分の本質が豊かさであると勘違いしてしまうだろう。自分こそ誰よりも偉大で、自分よりも貧しい他の全ての人は自分よりも劣った人間であると。それはまるで神にでもなった感覚をもたらす。本当は多くの富を持っているに過ぎないただの人間なのに。そんな傲慢さが過剰な豊かさから生まれてしまう。

富や豊かさを奪われる恐怖を抱くのは、それが自分に相応しくない豊かさの証拠である。自分の器を超えた豊かさを持つとき、自分から富が零れ落ちることを恐れる。自分の器を超えているからこそ、零れ落ちるのである。奪われる恐怖は目に見えず、決して逃れることはできない。その恐怖は生活と心を蝕み、本当の意味でも豊かさを失ってしまう。

貧し過ぎることも人間性の成長と人生の弊害となる。

過度な貧困、相応しくない貧しさは、肉体的・精神的に人を追い詰め、余裕を奪う。余裕のなさは様々な歪みを生み出す。歪みは、人生観への歪み、人間関係への歪み、そして自分自身への歪みとなる。そしてこれらの歪みは、人生観・人間関係・自身へのネガティブな感情として現れる。人生への諦観、人間に対しての憎しみ、自尊心の欠如。それだけではなく、相反する矛盾した感情を心に抱えたまま人生を送ることになる。相手への僻み、しかし同時に羨望の眼差し。強欲、同時に守銭奴。

過度な貧しさが歪み生み出し、歪みが心や人間性を蝕む。歪みが、社会や他者や自分に対する不信感、不信感が恐怖、恐怖が憎しみ、そして憎しみが自分への苦しみとなって降りかかってくる。

貧しさから来る歪みはあらゆるネガティブな感情を生み出し、そこから逃れる術はない。自分自身が歪みから解放されない限りは、人生は歪みに囚われたままになる。

必要なのは豊か過ぎず、貧し過ぎないことである。自分の器に合った生活こそが、心の平安を生み出す。本当の意味で人間が満たされるのは、平安、穏やかな生活が遅れる時だけである。大きな富を持っていても、その富を適切に仕える人にとってそれは豊か過ぎず、貧しくとも清貧ならば貧し過ぎるということはない。

大切なのは自分の器に対して丁度いいのかどうかどいうことである。大きすぎても、少なすぎても歪みが生じる。

豊か過ぎず、貧し過ぎず。

広告