カルトとは何か。私たちの一般的な認識によると、カルトとは既存の宗教とは異なり、反社会的な宗教というイメージだと考えられている。その認識は概ね正しい。しかし、実はカルトとは既存の宗教とは異なる新宗教だけのものだと考えられてしまうが、実際はそうとも言い切れない。既存の地域に根付いた宗教ですらもカルト化する可能性はある。

現代の日本社会に一般的に生活している人からすればカルトという存在は身近に感じないかもしれない。普通の生活を送っていれば宗教にすら触れないのに、カルトに関わることなどないと考えるかもしれない。まして、最近はカルトの話題もメディアにあまり取り上げられなくなってきた。だから、つい私たちはカルトが衰退してきたと考えてしまう。しかし、それはカルトに無知ゆえの勘違いに過ぎない。カルトの危険性と社会的な影響というものは意外なほど身近に潜んでいる。まだまだ現代日本社会とカルトは浅くない関係がある。

今回から数回、カルトについての記事を書いていきたい。

1.カルトとは何か―その定義

カルトと聞けば、今はそれ自体が宗教団体を指すものと理解されているが、元々はそこまでの意味はなかった。

カルトとは元々、「cult」であり、単に礼拝・崇拝[i]という意味の単語として使われていた。しかし、1920年代に社会学的用語としてカルトは特殊な意味として用いられるようになる。それは「神の恵みだけによる救い-日本の宗教用語を使えば『他力』による救済-を説くすべての宗教は『カルト』に該当する」[ii]という一文から見て取れる。つまり、カルトとは神の恵みだけによる救いを教義として掲げる宗教のカテゴリーを指している。その中にはもちろんキリスト教も含まれている。むしろキリスト教こそ神の恵みによる救いを標榜している代表格である。しかし、この時点ではまだカルトは他力による救済を説く宗教のカテゴリーなだけであり、そこに反社会的宗教という意味は含まれていない。

その後、カルトという単語の意味は更に変化していく。1976年に人民寺院の集団自殺の事件が起きて以来、カルトを「社会問題を引き起こす新宗教」という意味で人々は認識するようになった。[iii]つまり、カルトを単なる宗教や宗教教義のカテゴリーとして捉えるだけでなく、カルトを社会との関係性の中でとらえるようになった変化が読み取れる。カルトは、単に不可思議な教えを信奉している良く分からない宗教だけではなく、その宗教が社会に影響が害を与えるものであると認識するようになったのである。

藤田庄一はカルトを『スピリチュアル・アビューズ』[iv]だと表現した。直訳すると霊的虐待だろうか。もう少し解釈すると、宗教特有の信仰心を悪用した霊的な虐待ということだろう。つまり、カルトの行動と目的は、人々の信仰に向かおうとする心を利用し、自分の団体の正体を隠ながら意図的に信仰心を喚起させること。そして、教祖的存在が宗教的な絶対性・優越性を濫用して、宗教言説を用い、修行や儀礼、宗教行為を通じて精神的に呪縛していくことが目的である。カルトに入信してしまうと、カルトの教えを絶対のものと信じ、社会的な倫理や常識の方が誤っているという考えに囚われしまう。カルトは信仰心においても思想的にも入信者をコントロールし、それが唯一の正しい道だと思い込ませる。そして、入信者は自分自身が信仰的・思想的に囚われていることに気付けないのがカルトの特徴である。

[i] Cult ,goo辞書、英和辞書http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=cult&kind=ej&mode=0&kwassist=0

[ii] ロバート・キサラ「オリエンテーション」『宗教と社会問題の〈あいだ〉』南山宗教文化研究所 編、青弓社、2002年、P,9

[iii]藤田庄一「カルトとスピリチュアル・アビューズ」『宗教と社会問題の〈あいだ〉』南山宗教文化研究所 編、青弓社、2002年、P,23

[iv] 同上、P,32

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