2.カルトに近づく理由

しかし何故、人々はカルトを信仰するようになってしまうのだろうか。いや、そもそも何故、人々はカルトに近づいてしまうのだろうか。それは、現代日本社会の抱える精神空虚さが原因であると考えられる。現代日本社会は経済的に高い水準にあり、物質的にも豊かである。しかし、それに反比例してムラや共同体や大切にする社会から個人主義の社会にシフトしたため、人間関係が希薄になってしまった。

人間関係の希薄さは、人との繋がりの形骸化、精神的な空虚さをもたらす。SNSの発達によって、人との繋がりの機会自体は増えたが、本当の意味での心の交流が出来るわけではない。他者との繋がりが増えたとしても人間関係の質は低下したままである。SNSがなかった時代にカルトは一大勃興したが、その時期が共同体主義から個人主義に社会関係がシフトした時期にピタリと合うのは必然であったと考えられる。

精神的に空虚な状態に陥ったならば、人々は精神的な拠り所を求める。「パンのみで生きるのでない人間は、こういう状態のなかでは、毎日の生活に張り合いと希望とを手っとりばやく与えてくれる精神的な何ものかを求める」[i]のである。そして、「精神的な何ものか」を埋めるには宗教は大きな役割を果たす。精神的な空虚さを埋めるために宗教を求める人は、その分カルトに接近する機会が増える。カルトはこの人々の心の空虚さに巧みにつけ込み、勧誘するのである。

 

3.マインドコントロール

人々は何故カルトを狂信的に信じてしまうのか。カルトの入信者の狂信的な行動を説明するためにマインドコントロールという言葉が用いられてきた。しかし、このマインドコントロールという言葉は、よく使う割に意外に正しく理解されていない。そこでまず、マインドコントロールとはどの様な概念であるのかを考えたい。

マインドコントロールを定義すると「当事者が主観的、個別的には自由な意思で判断しているように見えても、客観的、全体的に吟味すると、外部からの意図的操作により意思決定していると評価される心理状態」[ii]のことを指す。

つまり、自分では自分の意思で選択的に選んでいるつもりだが、客観的に見ると操作され、コントロールされているように見えているということである。

マインドコントロールは主にカルト集団の入信過程においての勧誘方法の操作性を説明・批判するものとして使われている。しかし、このマインドコントロールという概念を用いるときは注意が必要である。例えば、1998年3月名古屋地裁での統一協会元信者による「青春を返せ」訴訟では、社会的相当性を逸脱していないという判断が下された。この判例からも分かるとおり、マインドコントロールという概念はかなりあいまいで、必ずしも裁判においては有効な説明概念ではない。

現在はマインドコントロールというようなあいまいな概念は用いずに、『無知または(精神的)な弱さの詐欺的な濫用』[iii]という言葉を用いることが通例になってきている。

[i]角田信三郎「新興宗教の意味するもの」『現代日本社会とキリスト教徒』安斎伸 編纂、中央出版社、1964年、P,186

[ii]山口広「宗教と社会問題の〈あいだ〉」『宗教と社会問題の〈あいだ〉』南山宗教文化研究所 編、青弓社、2002年、P,65

[iii] ロバート・キサラ「オリエンテーション」『宗教と社会問題の〈あいだ〉』南山宗教文化研究所 編、青弓社、2002年、P,13

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