5.カルトと司法

これらのカルトの事件に、司法はどの様に対処しているのだろうか。司法としては「カルトによる被害は『宗教問題』としてではなく、生存の自由、わけても精神の自由を侵害する犯罪、違法行為として具体的に対処するのが妥当」と考えている。

この対応はカルト教団が裁判で信教の自由・宗教弾圧を主張して、問題を「宗教問題」にすり替えようとすることへの対応策である。事件を「犯罪」・「精神の自由」として強調することにより適切に対処できると司法は考えているのだ。

参考として日本だけの判例ではなく、外国の判例も見てみよう。

アメリカ:19881017日、モンコ・リール事件での判決は、統一協会元信者と統一協会との間で和解するように命じられた。理由としては統一協会の宗教団体としての利益を比較衡量して、勧誘される個人や州の利益を優先すべき場合があると考えられるから、であるとしている。

フランス:1997728日、サイエントロジー幹部の違法行為についての裁判での判決は、サイエントロジーの施設の幹部に対して、意図しない殺人の成立を認めて、禁固三執行猶予付きを下した。理由としては、教団の実態を隠蔽し、第三者に対して詐欺的な操作を宗教的実践の下に行ったからである。

評価されるべきは、宗教が告白している教義の価値ではなく、カルトの行動が合法か違法かであるかを対象としている点である。これらの判例は、日本での違法性の判断においても参考になるだろう。

 6.カルトと宗教

以上のことから、カルトは反社会的な特定の新宗教と限定することはできないと言えるのが分かる。ある宗教団体がカルトか否かということは、宗教団体の行動の合法性、個人への影響や社会的妥当性によってのみ推し量られるからである。その宗教団体の教義の正しさや正当性などは問題されない。何故なら、教義の価値や正しさなどを証明することは出来ないからである。

それ故、既存の宗教、伝統的な宗教だから安全・安心・カルトではないとは言い切れない。伝統的とされている宗教においても、特定の宗派・教派はカルト化している可能性は十分ある。

また、カルトが必ずしも私たちが想像している典型的な怪しさを出しているとは限らない。見るからに怪しい・危険だと感じることが出来ない、一見すると伝統的だと見える宗教の中にもカルト化したものが潜んでいる。反社会的な活動をしておらず、犯罪行為をしていないように見えても、マインドコントロールを行っているカルト化した宗教団体はある。

また、カルトについて漠然としたイメージを持っていないと、カルトの目的や行動が詐欺行為や犯罪行為であるかのように見えてしまうが、必ずしもそのような場合だけではない。ある宗教団体は自分たちの認識としても宗教活動のみを行っているつもりだとしても、上記のカルトの定義=「宗教団体の行動の合法性、個人への影響や社会的妥当性」に引っかかる場合はカルト化していると言えるだろう。

つまるところ、カルトかどうかはその宗教団体の自己認識ではなく、客観的な評価によるのである。ある宗教団体が「自分たちはカルトではありません。大丈夫です。ちゃんとした伝統ある宗教ですよ」と主張したとしても、カルトではない保証は何もない。

以上で、カルトとは何かの考察を終わります。