実りあるものを全て奪い尽くしてはいけません。収穫のときに作物を全て刈り尽くしてはいけません。

これは比喩的表現ですが、私たち人間に向けられたあらゆることへの注意喚起です。

私たち人間は、手に入る資源を全て奪い尽くしてしまいます。それが人間の持って生まれた業の一つなのでしょうか。資源を奪いつくすという業が、幾つもの種を絶滅に追い込んでいきました。人間の腹を満たす為に、生物を狩り尽くしていったのです。それでも決して人間は満腹することはありません。貪欲の塊です。

それは狩りに限った話ではありません。あらゆる資源も人間は奪い尽くしたり、今まさに奪っている最中です。森林伐採や、様々な鉱物、エネルギーを人間は奪い続けています。

しかし、それが人間の背負った業なのかもしれません。食べなければ生きることは出来ません。人口が拡大すれば、より多くの食料や資源が必要になります。それらが無ければ文明は立ち行かなくなってしまいます。

人類が存在するということは、資源を消費するということです。それは定められた宿命ではありますが、その業自体が悪とは言えません。

もし、資源を奪っていくことについて悪というものが存在するならば、必要以上に取りすぎるということです。必要な分を奪う=消費するということは仕方の無いことです。しかし、不必要に、過剰に資源を奪うことは悪と言えるでしょう。特に、特定の個人が強欲と貪欲にまかせて資源を搾取することは許されない悪です。本当に必要な人に食料や資源が行き渡らないのは、そのような悪のせいです。

奪い尽くす人間の業について語ってきましたが、縄文文化は別のことを教えてくれます。縄文文化については、過去の記事に詳しく書いてあるのでそれを参照して下さい。

縄文文化のキーワードは循環型社会と自然との共生です。縄文文化も人間の文化ですから資源を消費します。しかし、その消費は最小限度に抑えられていました。生活に必要な分だけであり、過剰なものまで搾取しませんでした。そして、自分たちが消費した分は自然に還元していました。例えば、植林が代表的行為です。これが循環型社会です。

そして、循環型社会を実現するには自然と共生するという精神が不可欠です。自然は自分たち人間のものではなく、自分たちもまた自然の一部なのだという人生観・生活観です。

縄文文化は循環型社会と自然との共生という基本原理に立って生活した結果、1万年以上という驚異的な持続をしました。他の文化では見られない持続可能性です。今の私たちの社会にはこの基本原理が切実に求められていると思います。今の文明を持続していくには、高い持続可能性を持つ循環社会と自然との共生を模索していく必要があります。

現代に生きている私たちが、縄文文化の生活をそのまま実現するのは不可能です。しかし、縄文文化の基本原理を心に刻み、今の社会に合わせてアレンジし、実現していくことは可能でしょう。今こそ、縄文文化の基本原理を思い出す時です。

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