第2日目
この日はタルススに移動し、最初にクレオパトラの門(現地ではパウロの門と呼ばれている)に行き、次にパウロの井戸、キシリアの峡門、カイマクル地下都市を訪れし、カッパドキアに到着した。
タルススの歴史は非常に古く、新石器時代までさかのぼることができる。その後の、銅器時代、青銅器時代にもタルススの地に人々は居住し続けた。タルススの地は絶えず様々な王朝の侵略を受け、支配されていた。タルススの古代の都市名はタルソスであるが、その名の由来には諸説ある。一番有力とされている説は、その土地の土着の神であるタルク神に由来しているといわれている。
「紀元前400年頃からタルソスはペルシアの総督の所在地だった。その後セレウコス朝シリアの一部となった。ローマの征服の後、紀元前66年にキリキア州の首都となり、全ての住民はローマの市民権を授与された。」-Wikipediaからの引用
また、タルソスはパウロの生家のある地方でもある。パウロは生まれながらのローマ市民で、天幕職人でもあった。パウロはまた熱心なユダヤ教徒であり、当時高名なラビであったガマリエルの下で律法について学んだ。初めは熱心なキリスト教徒の迫害者であったが、エルサレムからダマスコの途上で、復活したキリストに呼びかけられる幻を体験をし、回心したと聖書は伝えている。
この日、最初に訪問したところはクレオパトラの門であった。ガイドさんがクレオパトラの門に着くまでの間、クレオパトラとアントニウスのロマンスについて話をしてくれた。目的地に到着し、実際に門を見てみると、想像していた以上に大きく、きれいに残っていた。なによりも、クレオパトラの門が町の道路のど真ん中に、今も建っていることが奇妙に思えた。
次に、そのすぐ近くにあるパウロの生家の井戸といわれている場所を訪問した。残念ながらそこは現在、改修工事をしているために井戸はシートによって隠されていたが、少しだけ中を覗かせてもらうことができた。井戸は昔ながらのもので、老朽化していたが、はっきりと形は今も残されていた。パウロの井戸の周りには住宅地があり、道路も舗装されていた。井戸自体は観光地として整備されていたので、いまいちここにパウロが住んでいたという実感が湧かなかった。
その後、カッパドキアに向かって移動したが、バスの中から眺めていると高速道路が非常に整備されていることに気がついた。ガイドさんの話によると、現在トルコは鉄道よりも道路に力を入れており、国中に舗装された道路が広がっているという話だった。高速道路の通行料金は非常に安く、どんなに高いところでも5リラが最高の金額らしい。理由としては、道路は国民の税金から造られたものなので、利用者に対して安くするのは当然であるということらしい。途中、当時のキシリアの峡門辺りでバスは一旦停車し、外に出た。自然の風景を見ていると岩山が目立ったが、昨日と違い高い木が多くあることに気がついた。キシリアの空を眺めていると、空とはこんなに綺麗で広いものなのかと深い感動を覚えた。日本ではなかなか味わえない空を見ることが出来て、貴重な体験をすることができた。
再び乗車した後、外の風景を眺めていると、思わぬものを発見した。それは、雪山とアーモンドの木のマッチングだった。高速道路の向こう側に無数の桜のようなアーモンドの木が並んでおり、その後ろに雄大な雪山があり、とても美しい景色だった。
次の目的地はカイマクルの地下都市であった。地下都市はとても狭く、複雑に作られており、ライトとガイドさんの案内がなければおそらく一生出てこれない所だったであろう。地下都市はとても人間が切り開いたとは思えないほどしっかりした構造で、敵の進入にも対応できるように造られていた。また、礼拝堂も設置されており、人々が生活していた跡(寝床やトイレ)も今もきちんと残っていた。地下都市は、人々の一時的な避難場所であったので、人々が住まなくなると、ワインの貯蔵庫として利用されるようになったという説明を受けた。
最後にトルコ石をメインに売っているジュエリーショップに寄る途中で、ギョレメ妖精煙突群の一部を見れる場所に立ち寄ったのでバスはそこで停車した。そこにラクダがいた。私は生でラクダを見るのは初めてであったので、ラクダのその大きさに驚いた。間近で見るラクダは思っていた以上に大きく、頼もしい存在に思えた。昔の人々が、馬やラクダに乗ってシルクロードを通ろうとした理由も分かる気がした。
この日はトルコの古代の部分と現代の部分を味わうことができた。また、トルコの感動的な自然も素晴らしかった。