「救い」の要素 不完全な人間

「救い」を成立させるには2つの要素が必要である。1つは「救い」を必要とする人間という存在は何かしら欠けていて、劣っていて、完全から遠い存在であるということを前提とするということである。

つまり、人間は必然的に「救い」を必要とする存在なのだということを前提とし、印象付けるのである。キリスト教ならば原罪、仏教なら業である。

ある人にたまたま「救い」を必要とする状況が生じてきたというのでは宗教の「救い」を一般化し、布教することはできない。それでは宗教の教義を正当化するにはまだ弱い。ある人にたまたま「救い」が必要になったのではなく、人間という存在はすべからく「救い」を必要とする不完全で、弱く、足りないものなのだということを前提としなければならない。このような前提に立って論理を展開すれば、自分たちの宗教がもたらす「救い」を一般化し、「救い」をもたらす教義・教えを正当化することができる。

「救い」の要素 不可知の領域

そして「救い」を成立させるもう1つの要素は救いをもたらす絶対者(神・仏)の存在か超越的世界(天国・神の国・極楽・解脱)である。絶対者の存在か超越的世界のどちらかであるか、その両方があれば「救い」の前提となる。絶対者は他力による「救い」であり、超越的世界は自力による「救い」の前提となる。つまり、人知では決して及ばない不可知の領域こそが「救い」を成立させる大切な要素なのである。

これは少し考えてみれば分かることである。「救い」という人間の力では克服できないネガティブな状況に癒しをもたらすには、当然人間の力を超越した絶対者か、現世を超えた超越的世界が必要になる。

人間の力では「救い」をもたらせないが、絶対者なら可能である。あるいは現世に生きている限りネガティブな状況から逃れられないが、現世を超えた超越的世界ではネガティブな状況から一切解放される・・・という前提が必要なのである。

まとめると「救い」を成立させるには救われるべき不完全で弱く欠けた人間という存在と、その人間を救う絶対者と「救い」がもたらされる超越的世界が前提として必要になるのである。

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