第3日目
この日はギョレメ妖精煙突群に行き、次にトルコ絨毯屋、三美女の岩を訪問し、コンヤに向かった。コンヤでは、3900m級の山とキャラバンの城門を見学した。
カッパドキアには後期青銅器時代からハッティ人が定住し始め、ヒッタイト帝国の軍の本拠地になった。その後はペルシア帝国に支配され、ローマ帝国と関係を持つようになり、最終的にはローマ帝国の属州になった。また、4世紀の後半にはカッパドキア三教父を輩出した。彼らは公会議や書簡で異端反駁を行い、キリスト教会がいうところの正統教義の確立に貢献した。
最初に訪問したところはギョレメであった。ギョレメとはトルコ語で直訳すると「私を見ないで」という意味である。ギョレメには無数の奇岩があった。その奇岩とは火山灰の固まった岩を人間が掘って住んでいた住居である。遠くから奇岩を見ると、一見人が住んでいなそうに思えるが、近づいてよく見ると、奇岩に窓みたいな小さな穴が空いていたり、入口らしき大きな穴が空いているので、確かに昔、人間が住んでいた場所だと分かる。ギョレメの奇岩は、外から眺めるだけでも十分世界遺産だと認識できるが、中に入ってみると、さらにその構造が知ることができる。私が入った奇岩の中は岩窟教会で、そこには様々な東方キリスト教のフレスコ画が描かれていた。
最初に入った岩窟教会は、正面の一番目立つ部分にイエスのフレスコ画が描かれてあった。そして、教会の中にある4つの柱には福音書記者のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人が描かれてあった。さらに、教会の天井にはイエスが洗礼を受ける場面から、受難の場面までが描かれていた。
しかし、そのフレスコ画の下の部分は所々剥がれていた。ガイドさんによると、昔、このギョレメが発見されたばかりの頃、学者や観光客が勝手にフレスコ画の一部を剥がして研究材料や、お土産として持ち帰ったのが原因らしい。次に入った岩窟教会は、聖ゲオルギウスが馬に乗り、鎧を身に着け、槍で大蛇を刺して大蛇を退治しているフレスコ画が描かれている所だった。聖ゲオルギウスはその昔、カッパドキア地方にいた人々を食らう大蛇(悪竜)を退治した聖人であるとされている。ガイドさんの話によると、この聖ゲオルギウスの格好は当時の騎士の格好と同じものであるらしい。次に入った場所はコンスタンティヌス帝とその母ヘレナのフレスコ画が目立つ岩窟教会だった。ガイドさんの話によると、この絵には実は意味があるらしい。コンスタンティヌスはキリスト教を容認した最初の皇帝であり、聖人であることで有名である。しかし、十字架がわずかにコンスタンティヌス帝よりも母ヘレナの方に寄っているのは、彼が実は信仰心が無かったことを暗に言っているというのである。母ヘレナは心から信仰していたが、コンスタンティヌス帝は、以前ローマの神々を礼拝していたということである。最後に入ったところは、聖職者の人が食事を取る場所であった。入った時は気付かなかったが、出る時にもう一度よく中を見回してみると、まるでダヴィンチの描いた最後の晩餐のような構造をしていたので非常に驚いた。
長くなるので、今回はここまで。次回は3日目の続き。