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たまにの暮らし‐tamany‐

人生いろいろ ぼちぼち生きましょう

作成者

Tama

癒しの動物2

笑いと癒しの動画7

常識を超越したとんでも建築・設計です(笑)

癒しの音楽8

波とハープの音が心をほぐします。

俯瞰

人生辛いこと、行き詰まることが連続すると、「もう駄目だ」と諦めて、嘆いてしまいたくなります。

1回や2回ならば、まだ耐えられますが、何回も続くと流石に限界がきてしまいます。

人生に失望する理由は人それぞれです。

一生懸命努力したのに報われなかった。周りから嵌められた。運がなかった。

取り返しのつかない過ちをしてしまった。今まで築いてきたものを台無しにしてしまった。

誰も理解してくれなかった。周りから評価されなかった。

自分の意志とは関係なく、病気で苦しめられている。

騙されて、何もかも失ってしまった。

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予防接種

皆さん、お久しぶりです!

Tamaは元気ですよ。

「たまに」がモットーなので、ブログの方も1ヶ月に1週間ぐらいはゆっくり休んでおります。

次回から休みに入るときは、一言お知らせしますね。

さて、予防接種です。

今冬は例年よりも寒くないと言われていますが、今年も感染症の季節がやってきました。

私は体が強い方ではないので、この時期なると風邪に罹りやすくなります。

なので、電車やバスなどを利用する時は必ずマスクを付けるように心がけています。

マスクにどの程度効果があるかは分かりませんが、マスクをせず無防備な状態よりかはいくらかましであると思います。

しかし、どんなに気を付けていても、風邪やインフルエンザに罹ってしまう時は罹ってしまいます。

特に、インフルエンザは怖いです。一週間は行動不能になります。

それが怖いので、今年も予防接種を受けました。

現在の注射による予防接種は、予防接種を受けたからと言って感染自体を防げるわけではないそうです。

あくまで感染した時に重症化を防ぐために抗体を予め造り出しておくということだそうです。

しかも、予防接種は1回よりも2回受けた方がより効果が上がるようです。

これは知りませんでした。

インフルエンザが猛威を振るうこれからの時期、手洗い・うがいなどの衛生管理に更に気を付けたいと思います。

 

 

認識について6

前回で「認識について」のお話は終わりました。

今回は前回までの認識についての話のまとめです。

A 「認識」の根源は「主体ー私」である。

B 「主体ー私」は本質的に相対的であり、不確定性を孕んでいる。(「主体」ごとに「私」であるという覚知が異なり、同一「主体」であっても加齢によって「私」であるという覚知が変化する)

C AとB故に、「認識」もまた相対的で不確定なものである。

D →認識不確定性原理

E 「感知」は「認識」を構成する一機能である。

F 「感知」は不完全である。(感覚器には限界があり、「感知」できなければ「外的存在」があったとしても、それは存在しないと同じ)

G EとF故に、「認識」もまた不完全である。

H →認識不完全性原理

I 他者と確定的で完全なる「認識」を共有するには、確定的な「主体」と完全なる「認識」が必要。

J DとH故に、原理的に他者と確定的で完全なる「認識」を共有する基盤を構築することは不可能である。

認識論

 

認識について5 認識不確定性原理・認識不完全性原理

「認識について4」の続きです。

前回は「主体」は「認識」・「内的存在」の根源であることを述べました。

私たちは「主体=私」があることで、そもそも「認識」することができます。

そして、また「主体」の覚知は一人ひとり異なるということもお話しました。

今回は、いよいよ結論である、認識不確定性原理、認識不完全性原理について述べます。

1. 認識不確定性原理

まず、認識の不確定性について。

「主体」が違えば、「私」であるという覚知も異なります。これは「主体」の相対性と言い表せます。

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認識について4

「認識について3」の続きです。

前回は「認識」というシステムについての話で、「認識」は「感知」と「識別」という2つの機能によって構成されているということを確認しました。

今回は、「主体」について考えてたいですが、まずは前回の補足からいきます。

前回の最後は、私たちは「認識」に生み出された「内的世界」の中で生きているというところで終わりました。

1. 内的世界

突然出てきた「内的世界」という言葉について説明します。

私たちは「認識」というシステムを通して「内的存在」を生み出します。

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認識について3

「認識について2」の続きです。

前回の話の中で、結論として「認識」には原理的に導かれる根源的な欠陥があること、他者と確定的で完全な「認識」共有する基盤を構築することは不可能であると述べました。

今回は、なぜそのような結論に至ったのかを説明するために、まず「認識」のシステムについてお話いたします。

私たちは認識という言葉を聞くと、情報を受け止め、それをどのように脳で処理するかという過程だと考えます。

私がこれから述べる「認識」とはそういった脳の働きも含みますが、より根源的な意味を持っています。

「認識」は大きく分けて「感知」と「識別」の2つの機能に分かれます。

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