前回、説教について批判しましたが、今回はさらにもう一歩踏み込んだ領域、説教は神の言葉であるのかということについて考えていきます。
そもそも人間が語る聖書についての解釈が、何故キリスト教会においては御言葉=神の言葉となるのでしょうか?
私は神学を学んでいた当初からその疑問を抱いていました。
人間の言葉が神の言葉となる。そんなことは論理的に破綻しているのではないか、そう直感していました。
しかし、教会において説教が神の言葉であるということは決して譲れない主張です。
そもそもですが、教会は御言葉を3種類あるとしています。第一にイエス・キリスト。不思議に思えるかもしれませんが、キリストは神の言葉(ロゴス)なのです。第二に聖書。第三に説教です。