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たまにの暮らし‐tamany‐

人生いろいろ ぼちぼち生きましょう

作成者

Tama

とある避暑地

とある避暑地に行ってきた。

高速道路を降りて、山に向かって行けばそこは日常とは別世界である。

緑が輝いており、自然豊かな光景が見えてくる。地元と一番違うのは肌で感じる気温である。灼熱の暑さを忘れるほど心地良い涼しさが迎えてくれる。空気も澄んでいる。 “とある避暑地”続きを読む

神は死んだ

人間は長い時代、世界を理解するために神をつくりだすことで、世界を説明しようとしてきた。神という概念は大変便利で、世の中のあらゆる現象も不条理も説明することができた。

“神は死んだ”続きを読む

深淵からの復帰

私はキリスト教世界に生きていました。

以前の投稿をお読みになった方ならば、私がどの様な世界に生きており、また現在キリスト教に対してどの様な感情を抱いているのかお分かりだと思います。

キリスト教の世界では、神・主イエスへの服従が尊ばれ、その生き方に向かって歩むのがクリスチャンの人生の目的とされています。それ自体は素晴らしい生き方だと思います。しかし、日本のキリスト教の教育は歪んでいます。自己謙遜という名目で、実際上は自己卑下の生き方を徹底的に教え込まれます。自分を価値の全くない罪人として、尊厳を全て剥奪され、だから神の救いが必要なのだ、神の救いがなければ生きていけないのだと叩き込まれます。それは教会学校であったても、説教であっても、神学校であっても同じ教育です。 “深淵からの復帰”続きを読む

自然への憧れ

久々の投稿です。

以前からずっと心にある思いです。

私はログハウスを建てて自然に囲まれた山の中で暮らしたいと考えています。 “自然への憧れ”続きを読む

孤独の大切さ

人間は関係の生き物であると言われている。

人間は誰かと繋がることで大切なものを共有し合い、お互いに支え合えることができる。人間は誰かと関係することで人間らしさを知り、また発揮することができる。誰もいないところでは人間らしさを発揮できない。人間の心というものは、人間同士の連帯、社会性を発展させるために生まれたものであると聞いたことがある。

誰かと繋がったり、関係することは本当に大切なことである。人間は誰とも関わらない世界では生きていけない。

しかし、昨今の世の中は余りにも関係性が氾濫している。SNSの急速な発展によって、私たちは一昔前では考えられないほどの人々と繋がることが可能になってきた。世界中の人と繋がり、自分の能力を超えた交友関係を持つようになっている。1万人、2万人の人と「友達」となることもできる世の中になった。 “孤独の大切さ”続きを読む

中国の思惑

「東アジアの覇権をめざす中国に対抗する存在は米国と日本であり、中華という覇権の成否はこの二国との関係のなかでほぼ決まってくる。…こうした中国の大戦略の線上に日本の国連安保理常任理事国反対と反日デモがある。日本を米国から切り離し、かつ中国に従順な国にすることで米国の東アジアへの介入を断念させることが、覇権を確立する最大のポイントである。そのための核ミサイルにもまさる対日戦略兵器が、日本の歴史認識批判というソフトウェア爆弾なのだ。これには、米国の核もハイテク通常戦力も、抑止力とはならない。」―黒野耐『「戦争学」概論』

 

中国は経済的にも軍事的にも強大化し、今や覇権を狙うことが現実的に可能になりつつある。しかし、日本にとっての中国の本当の脅威とは経済でも軍事でもなく、歴史認識批判というソフトウェアにおける攻撃である。
“中国の思惑”続きを読む

安全保障

『政府が集団的自衛権の行使に踏み切らないのは、中国や韓国の「日本は歴史を反省していない」という批判を恐れてのことである。だが、そもそも周辺事態は日米が引き起こすのではなく、中国や北朝鮮の行動に対して日米が対応することによって発生するのだ。…新しい安全保障環境のなかで、同盟国アメリカと調整して戦略転換をはかろうという気概のかけらも見られないのだ。…日本は安保条約拡大解釈を恐れて、ひたすら事態の先延ばしをはかっている。』―黒野耐『「戦争学」概論』

 

平和安全法制(マスメディアが安全保障関連法と呼んでいるもの)が成立してからもなお左翼は「戦争法反対」と叫び続けている。彼らは自分たちの主張を正義と確信し、自分たちは平和の為に戦っているのだと謳っている。自分たちの考えや行動が国際的にも認められていると勘違いしている。平和安全法制はナショナリズムの塊であり、戦争を再び起こし、周辺事態に巻き込まれ、自分の子どもを殺すような法律であると主張している。戦争法を廃止することが、他国の為であり、国際協調であり、平和の為であると言っている。 “安全保障”続きを読む

力の制限

前回の「瞑想の心得」の中でも触れた話でもあります。

私たちはそれぞれに人とは異なる能力を持っています。

一人ひとり、知的能力、創造力、コミュニケーション能力、並列思考能力、集中力、体力、精神的なエネルギー量などが異なります。

そして私たちは長く生きる中で自分の能力の限度や限界を知っています。

自分は集中力は高いが、同時に物事を考える並列思考は苦手だなあとか、創造力はあるんだけどどうもコミュニケーションを取るのが不得意だ・・・などです。

そのような自己分析をすることは大切です。自分の生活や仕事の中でなるべく失敗をしないように分をわきまえるということもあるでしょう。

しかし、今回私が語りたいことは、それらの自分の能力分析は本来の自分の能力よりも低く見積もっている可能性があるということです。 “力の制限”続きを読む

瞑想の心得3

5.感情の渦、感情・エネルギーの解放

忘我状態を一定時間継続できるようになると、しだいに意識の深みに踏み込んでいく。ここから次のステップに入る。ここからが本格的な瞑想である。忘我状態は意識と無意識の狭間であるが、無意識の領域に入り込むと感情の渦の段階に移る。この領域に入ると、忘我状態の無心で落ち着いた状態から一変して、激しい感情の波に襲われる。自分の心に中に閉じ込めていたあらゆるストレス、不安、怒り、憎しみ、苦悩、苦痛、恐怖、辛い過去、それ以外にも様々な考えや感情などが無秩序且つ爆発的に次々に現れては消える。制御不能の感情の波が止めどなく襲ってくる。自分の心の中に秘められている混沌(カオス)に直面しているが故の状態である。自分の心のうごめきの生々しさに衝撃を受けるだろう。しかし同時に自分の中に本来ある凄まじいエネルギーがこれ程あるのかとも驚かされる。自分という存在を自分自身が制御できる意識からのみ見ただけでは知ることは出来ない、自分の中には制御不能な領域・混沌のエネルギーが渦巻いていることに気が付く。 “瞑想の心得3”続きを読む

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