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たまにの暮らし‐tamany‐

人生いろいろ ぼちぼち生きましょう

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たまに日々

グルテンフリー体験記1

お久しぶりです。

しばらくブログ更新が滞ってしまいました。

またぼちぼち再開します。

さて、私事になりますがここ数ヶ月グルテンフリー生活を実践しています。ネットなどではもう5年ほど前から取り上げられていたようですが、最近になって急激にグルテンフリーに注目が集まっている気がします。

その理由の一つがプロテニス選手のノバク・ジョコビッチ選手が書いた『ジョコビッチの生まれ変わる食事』という本の影響があるのではないかと思います。この本はかなり売れており、今日本でも注目されています。 “グルテンフリー体験記1”続きを読む

とある避暑地

とある避暑地に行ってきた。

高速道路を降りて、山に向かって行けばそこは日常とは別世界である。

緑が輝いており、自然豊かな光景が見えてくる。地元と一番違うのは肌で感じる気温である。灼熱の暑さを忘れるほど心地良い涼しさが迎えてくれる。空気も澄んでいる。 “とある避暑地”続きを読む

神は死んだ

人間は長い時代、世界を理解するために神をつくりだすことで、世界を説明しようとしてきた。神という概念は大変便利で、世の中のあらゆる現象も不条理も説明することができた。

“神は死んだ”続きを読む

自然への憧れ

久々の投稿です。

以前からずっと心にある思いです。

私はログハウスを建てて自然に囲まれた山の中で暮らしたいと考えています。 “自然への憧れ”続きを読む

中国の思惑

「東アジアの覇権をめざす中国に対抗する存在は米国と日本であり、中華という覇権の成否はこの二国との関係のなかでほぼ決まってくる。…こうした中国の大戦略の線上に日本の国連安保理常任理事国反対と反日デモがある。日本を米国から切り離し、かつ中国に従順な国にすることで米国の東アジアへの介入を断念させることが、覇権を確立する最大のポイントである。そのための核ミサイルにもまさる対日戦略兵器が、日本の歴史認識批判というソフトウェア爆弾なのだ。これには、米国の核もハイテク通常戦力も、抑止力とはならない。」―黒野耐『「戦争学」概論』

 

中国は経済的にも軍事的にも強大化し、今や覇権を狙うことが現実的に可能になりつつある。しかし、日本にとっての中国の本当の脅威とは経済でも軍事でもなく、歴史認識批判というソフトウェアにおける攻撃である。
“中国の思惑”続きを読む

安全保障

『政府が集団的自衛権の行使に踏み切らないのは、中国や韓国の「日本は歴史を反省していない」という批判を恐れてのことである。だが、そもそも周辺事態は日米が引き起こすのではなく、中国や北朝鮮の行動に対して日米が対応することによって発生するのだ。…新しい安全保障環境のなかで、同盟国アメリカと調整して戦略転換をはかろうという気概のかけらも見られないのだ。…日本は安保条約拡大解釈を恐れて、ひたすら事態の先延ばしをはかっている。』―黒野耐『「戦争学」概論』

 

平和安全法制(マスメディアが安全保障関連法と呼んでいるもの)が成立してからもなお左翼は「戦争法反対」と叫び続けている。彼らは自分たちの主張を正義と確信し、自分たちは平和の為に戦っているのだと謳っている。自分たちの考えや行動が国際的にも認められていると勘違いしている。平和安全法制はナショナリズムの塊であり、戦争を再び起こし、周辺事態に巻き込まれ、自分の子どもを殺すような法律であると主張している。戦争法を廃止することが、他国の為であり、国際協調であり、平和の為であると言っている。 “安全保障”続きを読む

健康

喉の風邪を引いて、一週間ぐらい声が出ませんでした。もともと喉が弱いので、一旦風邪を引くと喉の調子が戻るまでには時間がかかってしまいます。今もまだ完全に治っている訳ではありませんが、だいぶ良くなってきました。

さて、健康ではなくなってから改めて健康の大切さを知るということはありますが、私は逆に完全な健康は本当に珍しいとも思いました。

風邪ではなくでも、なぜか腕が痛むとか足が痛むとか、口内炎があるとか、肌が荒れているとか、何かしらの身体のトラブル(病気というほどでもないもの)があるはずです。

そのようなトラブルが完全にない健康な状態であるということは本当に稀なことです。

その意味で完全に健康であるということも珍しいものです。

私たちはある程度の体調不良を毎日抱えながら生活しているんだなと実感した今日この頃です。

あるクリスチャン

今の私にとってみれば、ほとんどのクリスチャンは理性的な思考の足らない人か、偏った思想の持主にしか見えない。特に、聖職者と呼ばれる人々などは偽善者だらけだと感じてしまう。

しかし、最近、あるクリスチャンを思い出す。

その人は、クリスチャンではあったが、真に愛の行動に情熱を燃やしていた人であった。しかも、ずっとである。短い炎で燃え尽きるのではなく、愛に生きるのがこの人の人生なんだなと感じる。多くの牧師たちは口だけである。有り難い言葉を奨めておきながら、自分は愛を実践しない。偽善者である。しかし、その人は違った。口に出すよりも、愛を実践することの方が先だった。その人を見て、私は「この人の真似は出来ないな」と感じた。自分には真似できない生き方を素で実践している人に驚いた。私が出会った多くのクリスチャンの中で、もっとも聖人に近い人であろう。 “あるクリスチャン”続きを読む

平和

平和とは『スーパー大辞林3.0』によると「戦争もなく世の中が穏やかであること」と書いてある。その様な説明を受けると、平和とは状態を表す概念だと思ってしまう。つまり、平和とは静的なものであるという認識である。しかし、私はそうは思わない。

現在、何を勘違いしてか、安全保障法と戦争法と決めつけ、やたら戦争反対と騒いでいる。私にはそれらの運動には黒い思惑が隠れているようにしか思えない。安全保障を充実させることが何故戦争に結びつくのか。

それは、彼らが平和という概念を勘違いして理解しているからではないか。

平和とは獲得概念である。平和とは自分たちで作り出し、手に入れていくものである。現在、世界的なリスクが高まり、国際的な緊張が高まる中にあって、その荒波から生き抜くためには自ら平和を獲得していくしかない。 “平和”続きを読む

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