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たまに雑学

キリスト教会の発展と社会事業の関係2

2.政府側の事情

①    明治の日本は、維新以来、欧米の文化・技術を取り入れることで急速に発展していった。列強に追いつけという精神で必死であった。それによって、日本の近代国家体制、近代社会の体制がつくられていった。しかし、重要なことが残されていた。それは中身である。近代国家体制の中身、アイデンティティ、つまり、天皇中心とした国家体制を更に強固なものにする必要があった。

②    また同時に、明治政府は宗教の扱い方、国としての管理の仕方を長年模索してきた。1868年から1872年は祭政一致の時代があり、次いで1872年から1882年まで政教一致があり、公認教制度が1882年以降生まれたが、1889年には政教分離が叫ばれた。これだけ見ても、明治政府は宗教を国家にどう位置付ければよいのか、迷っていた、試行錯誤していたことがよく分かる。

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キリスト教会の発展と社会事業の関係

①    明治時代の社会(福祉)事業家にはやたらクリスチャンが多いことが分かる。

  • 石井十次(岡山孤児院)、片山潜(キングスレー館)、留岡幸助(家庭学校、感化事業)、賀川豊彦(セツルメント、『死線を超えて』)、山室軍平(日本救世軍、廃娼運動)などがいる。

②    実は、明治から大正にかけての日本におけるキリスト教の普及、教会の設立にはキリスト教社会(福祉)事業が大きな役割を果たしている。

1.教会側の事情

①    普通は、宣教師や牧師などが説教してキリスト教を日本に広め、定着させたと考えられているが、実はそうではない。日本のプロテスタントの歴史において、最初期は牧師などによる宗教活動はほとんど無力であった。徒労に終わった。

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交流分析5

7.人生脚本の分析

交流分析では、人生を「一遍のドラマのようなもの」と理解し、皆自分なりの脚本を持っていて、その脚本に書かれている役割に基づいて、人生という舞台で演じている、と考えています。

そして、この人生脚本とは「無意識の人生計画」であり、私たちの幼児期の幼児決断によって人生脚本テーマが決定されていくのです。

そして、人間は人生の重大な岐路に立たせられる時、この脚本に基づいて決断をしていきます。

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交流分析4

6.心理的なゲームの分析

心理的ゲームとは、「語られる言葉の背後に『隠された意図』があり、結末に必ず不快な感情をもたらす、非生産的な人間関係の出来事」のことです。

心理的なゲームはストロークが不足した時に行なわれ、自分が子供のころ親から得られたストロークの方法によってゲームを繰り返します。

ゲームの特徴は、まず繰り返し起こり、予想可能な結末へいたるということです。その結末とは、後味の悪い感情がただ残るだけです。心理的ゲームはいつも決まった結果になり、お互いにフラストレーションが溜まり、嫌になるまで続きます。心理的ゲームは「こじれた人間関係やパターン化された対人トラブルを引き起こす自滅的なコミュニケーション」と定義できるでしょう。

また、表面的にはAとAのやりとりに見えるが、その裏には隠されたやりとりがあり、罠やからくりが仕掛けられています。

そして、ゲームは仕掛けた本人も無意識であり、Aの気付かないところでPやCがゲームを行なっています。 “交流分析4”続きを読む

交流分析3

4.ストロークの欲求とディスカウント

ストロークとは、他の全ての人々から得られる刺激全てのことを意味します。交流分析では特に、その人の存在や価値を認めるあらゆる働きかけを意味しています。

ストロークは人間の精神の健全な発達には必要なものであり、ストロークなしには人間は生きることが出来ません。正に、「心の栄養物」といえます。

ストロークには大きく分けて2種類あります。それは、肯定的ストロークと否定的ストロークです。

肯定的ストロークとは、相手への理解と親密さに満ちた働きかけであり、幸福感と喜びを与え、相手に存在の意味や価値を感じさせるものです。人間は肯定的なストロークを貰うことによって、心が豊かに成長していきます。

否定的ストロークとは、相手を否定するメッセージであり、相手に自信を失わせ、憂鬱な気分にさせるものである。

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交流分析2

2.自我状態の分析

交流分析においては、人は誰でも自分の中に3つの心、心理的現実を持っており、これを知ることによって人間の心と行動を分析することができます。

交流分析は、人間の心を3つの部分と5つの機能で成り立っていると考えています。

交流分析1

3つの部分とは、P(Parent)=親の自我状態、A(Adult)=成人の自我状態、C(Child)=子どもの自我状態のことです。 “交流分析2”続きを読む

交流分析1

日常生活の中で最もストレスのかかるものは人間関係であると言われています。

皆さんも、人と関わっている中で、自分と他人との微妙な差異に違和感を感じると思います。それは考え方だけではなく、相手の反応、態度、仕草など細かいところからも感じます。

何故、あの人はこんな行動をするのだろうか?

良かれと思ってやったのに、あの態度はなんだ?

理由は分からないが、あの人と付き合うのが苦手だ。

今回からのシリーズでは、そういった対人関係の難しさを理解するために、交流分析という視点から、自分を知り、他者を知るということを学んでいきたいと思います。

1.交流分析の基本理論について

交流分析(transactional analysis)とは、1950年代後半にアメリカの精神科医であるエリック・バーン(Eric Berne 1910-1970)によって始められた心理療法理論です。 “交流分析1”続きを読む

新約聖書正典化の歴史3

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

「異端」から正典が始まった

キリスト教の歴史の中で初めてキリスト教独自の正典を持とうという試みを成したのは、正統派のキリスト教ではなく、むしろ彼らによって「異端」として排除されたマルキオンなる人物でした。正統派のキリスト教よりもマルキオンの方が実は一歩先んじて「純粋」なキリスト教を実現してしまっていたのです。

マルキオンによれば、「キリスト教徒が旧約聖書を権威として担ぐのは間違っている。旧約聖書というものはもう克服されたものではないか。既に自分たちが克服したはずのものを自分たちの絶対的権威にする訳にはいかないだろう」ということです。その意味でマルキオン及びその信奉者たち(マルキオン派)は、キリスト教の出発点の思想を真に素朴且つ忠実に信奉しようとしたと言えます。そこでマルキオンは、旧約聖書的な要素を一切排除する代わりとして、キリスト教独自の文書を正典として確立しようとしました。キリスト教史上初めて新約正典を持とうという発想を持ったのも、それを実行に移したのも、マルキオンだったのです。

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新約聖書正典化の歴史2

以下の内容は田川健三『書物として新約聖書』に準拠しています。

旧約聖書という矛盾

キリスト教の新約聖書の正典化の歴史における「旧約聖書という矛盾」はパウロに最も顕著に表れています。

パウロにとってキリスト教の福音は明瞭にユダヤ教の否定的克服でした。しかし、矛盾することに、彼にとって旧約聖書はおそらく他のどのキリスト教徒にとってよりも絶対的な正典的な権威でした。このパウロの在り方が、これから形成されていくキリスト教の抱え込まざるを得なかった最大の矛盾として残るものです。

新約聖書の正典化の歴史とは、この矛盾をどう解消するかという、数百年に渡るキリスト教会の苦闘の結果だったと言えます。もっとも、結局その矛盾は解消しきれずに今日に至っています。 “新約聖書正典化の歴史2”続きを読む

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